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2018年8月15日 (水)

平成最後の終戦記念日

 平成最後の終戦記念日

 日支事変の頃、仙台から上京し航空工廠に勤めていた父は軍属として徴用され、南支派遣軍の輸送船で中国へ渡り、広東の飛行場に進駐した。
 そのころ、軍属を含め兵隊に配給された 上巻(河北・蒙彊地区・山東・山西の部)、 中巻(江蘇・浙江・河南・安徽の部)、 下巻(江西・湖北・湖南・広東・福建・広西・四川・雲南・貴州・陝西の部)の3冊からなる『戦跡の栞』という冊子が出てきた。
 
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 内容は平易で観光ガイドブック的な仕上がりになっている。支那事変各地の戦闘状況はもちろんだが、各省の概説、歴史、地質、地形、気候、物産、住民と言語、名勝など軽快、軽妙な筆致で書いている。総ルビなのもうれしいし、地名は中国語読みもつけてある。
 冊子の刊行趣旨を少し長くなるが書き出しておく。

「今次事変の終局目的たる日支の真の提携と共栄の上に、東洋永遠の平和を確立せんが為には、将兵各自並びに全国民が、支那を徹底的に認識することが最も最大の要務である。
 本書は現地将兵の慰問品として分配するものであるが、右の見地に立ちて、大体占領地域を中心として体験せし実践の経過を追憶し併せて支那事情、主として人文地理的事情を説述し、以て現地将兵の便に供し、更に銃後への通信及び、帰郷の時に際して、之を広く郷当に普及伝達し、以て日支の真の親善に資せんとするものである。
 故に本書の説述に当たりては、飽くまで中正妥当の見地に立ちて記事の正鵠を期すると共に一面情味豊かなる読物たらしめ、苟も独善冗漫に流る事なからしめた。
 かくして縦に支那の地理を伝え、更にその上に動く支那と、そこに戦われたる皇軍聖戦の真相に徹せしめ以て今次事変に関する認識と将来の覚悟とを完からしめんとするものである。
            陸軍恤兵部」 

 発行日は上巻が昭和13年9月1日,下巻が同年12月1日となっているから、事変勃発から1年数か月でまとめ上げたことになる。
 
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 広東では、第二十一野航(安田部隊)に配属されたことが、裏表紙の見返しに「第二十一野航 日支事変出征に際し 給与さる昭和十四年五月十九日 皇軍ハイアス湾敵前上陸後一か月目に広東に上陸せり  〇〇〇  」と記していることからわかる。
 
 バイヤス湾敵前上陸を行った父の次兄(仙台二師団歩兵)は、その1-2か月後に弟が広東の飛行場に入ったことを知って訪ねてきたという。
 戦の中とはいえこのころは意外と自由な行き来ができたようだ。どんな会話をしたか聞き漏らしたが、別れの時の心情はどうだったのだろう。


 男4人女3人の末っ子が父で、長兄は砲兵、次兄が歩兵、三男は工兵として地元の第二師団から戦地へ送られた。
 なかでも次兄はシンガポールで終戦を迎えるまで十数年間転戦したといい、長兄は山砲の音により鼓膜を破り、三男は架橋や渡船のためクリークに長く浸かったりして体を痛めたが、それでも兄弟4人無事に終戦を迎え仙台に戻ることができた。迎えた母親の髪は真っ白になっていたという。


 子や夫を応召されたご家族どなたも同じであるが、陰膳据え膳を毎日かかさず供え、わが子、わが夫の無事帰還を願っていた。


 ちなみに、祖父(父方)は日清戦争で出征(仙台第二師団)した際、小さな手帳に改行もしないで記録を残している。

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