« SAAB 9-3と 南天 | トップページ | シュイナードの ウエストバック »

2018年1月13日 (土)

マタギの 書籍

2018.1.20 02版 加筆
 マタギの本。
 
 2014年7月の「クラシックカー青森 Hero達のツーリング」で訪れた暗門の滝入口にあたる白神山地ビジターセンター。
 その売店の本棚にあった『白神学 第3巻』の表紙から、辻まことの文章を思い出した。 
 
 表紙の人物は、当時40歳代の目屋マタギ最後のシカリといわれる鈴木忠勝氏(1907~1990)。
 昭和27年8月に、民俗調査団が砂子瀬の山中で偶然出会った時の写真で、蓑を着てコダシを背負い、足元はわらじで山道を飛ぶように走り去ったという。
 
S_2
       『マタギ』(戸川幸夫 クロスロード )
       『白神山地マタギ伝 鈴木忠勝の生涯』(根深誠 七つ森書館 )
       『白神学 第3巻』(山下祐介編 財団法人 ブナの里白神公社)
      錆びた両刃の刃物
 
 その文章というのは、辻まことが「谷間で失った肖像」に描いたドジョウ獲りの話だ。
 
 ---(略)(びっしょり濡れたズボンの腰にアミを巻き、ドジョウがびっしりと入った一抱えもある大きな籠を持った)年令はおよそ40歳前後の、しかし精悍な表情を持った男が小駅から乗った。(中略)私にはこのドジョウ獲りの男の生活のどこかに共感を持つこころもちがあった。(中略)その孤独で正直な渡世に生きる人の単純真摯な心を、失った宝を見るようにおもうのだった。
 農薬がドジョウを消さなかったように、今日の文明がまだ、人間の素朴なくらし方を完全に支配したわけではないことに、そういったくらし方を守っている人間が生きていることに、私は何か一つの証を感じ、その姿に祝福をおくりたかった。それは決して弱い素朴な野生の魂ではない。文明に作られた偶像を信じない、鍛えた無神論者の抵抗のような野生だ。私にはそういう人間が亡びないことを心のどこかで期待している気持ちがあった。-----     『画文集 山の声』(東京新聞)収録
 
 
 辻まことが電車でドジョウ獲りと乗り合わせたのは、多摩や相模の丘陵へブルドーザが入り丘を削り谷を埋め始めた、昭和30年代から40年代の初めころではなかったかと思う。
 その後、十数年の間にドジョウ獲りが生活していたであろう私鉄沿線は、クヌギやナラの雑木林に代わって高層住宅群や分譲住宅が建ち、谷戸の田畑は道路となり、曲がりくねった小川はコンクリートの護岸で囲われ真っすぐな川になった。
 
 精悍なドジョウ獲りも、急速な環境の変化に抗しがたく山を売り田を手放し「谷間で失った肖像」に辻まことが挿入した話のKのような暮らし向きに、変わってしまったと思う。
 
 
 
 
  ※参考資料:アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(スタジオジブリ制作)
 
 
 

|

« SAAB 9-3と 南天 | トップページ | シュイナードの ウエストバック »

山、道具」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マタギの 書籍:

« SAAB 9-3と 南天 | トップページ | シュイナードの ウエストバック »