非常食の カチ栗

 ザックの入れ替え整理をしていると、ぽろっと転がり出てきたカチ栗一つ。

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 むかし、山行中の不手際があった時のために、幾つかザックの底に放り込んでおいた一つが残っていたのだ。その頃、ピンチミルクと言って、コンデンスミルクの小さい缶詰を忍ばせる仲間もいた。

 カチ栗は、ゆでた栗を天日で数日乾かして水分を飛ばしているので、ザックの底に入れっぱなしていてもカビが付きにくい。その反面、硬くてかみ砕くには生易しくない。それが唾液を十分に呼び出すから、非常のときの空腹を一時しのげることになる。

 カチ栗以外では、鰹節の一片を入れておいた時期もあった。過去に何度かビバークを経験したが、幸いにもカチ栗や鰹節の世話にならずに済んだ。

 

 

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2019年4月 6日 (土)

スターバックスの コースターとマグカップ

 

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 マグカップの底には ©1998年のプリントがある。

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 八重洲地下街にスタバの店が開店したのは、このころだったと記憶している。1997年にキリマンジャロ山へ登ったこともあり、KENIYAのロゴに魅かれてこのコースターを購入した。マグカップはその後手に入れたと思う。

 このコースターは何度か落として割れたので、箱根寄せ木細工の板に貼って使っている。

 

 

 

 

 

 

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2019年3月29日 (金)

SAAB 9-3 と 椿(明石潟)

 椿がたくさん花を持った。落ちてしまった花も含めると30くらいはある。
                                                   

「明石潟」という品種だと友人が教えてくれた。

 検索すると、日本の古来種で数が少ないとも書いてある。そのためか、往来の人から珍しい椿ですねとか、写真を撮らせてくださいと声をかけられる。

 ただ、10㎝くらいの大輪なので茶花には向かないと思う。

 

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 鉢植えの細い枝に、よくこれだけ花がついたと思う。

 

 

 

 

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2019年3月26日 (火)

登山用ガスカートリッジを 使い切る

 登山用ガスカートリッジのガス残量が少なくなった場合、日帰り登山でもカートリッジを予備に持っのは重量と嵩の関係があって、新しいものを持ってゆくことが多い。したがって、中途半端にガスの残ったカートリッジが増えてしまう。
 そこで、残量の少ないガスカートリッジの使い切り方法として、パーコレーターで淹れたコーヒーを楽しむことにしている。

 

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 ヘッドは PSS 型 ユニバーサルトレーディング社製
 微細な火力調整ができるのはいいが、昼間は炎が見えないので注意が必要である。

 

 

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2019年3月22日 (金)

クラブ誌『SAAB WAY』の 終刊

 サーブオーナーズクラブオブジャパン(SOCJ)のクラブ誌『SAAB WAY』は、Vol.70を最後にその役目を終え、毎月発行の『SOCJ NEWS』も同時に終了した。
 今後は紙媒体に代わってホームページ上での情報交換となるが、昭和生まれの私にとって、手に伝わる重みと紙質とインクのにおいを感じる冊子、書籍が減ってゆくことに寂しさを覚える。

 

     Ssaabway_2
      
 昨年はある企業のPR誌も打ち切りになった。制作・郵送料の事情のほかに、受け取り側の住宅事情も大きいと思う。書籍や月刊誌などを並べておく場所の問題である。
 かつては書架をしつらえ分厚い百科事典などを並べた家を多く見かけたが、今や古書店でも作家の全集物や百科事典は人気がなく引き取らない。


 某雑誌社が企画する魅力的な登山計画へ参加するには、月刊雑誌を年間予約購読して会員登録してからになる。15年ほど前の話だがある登山計画にビジター参加した若い人から、会員資格は欲しいが本誌はいらないと言われたことがあった。理由は保管場所の問題だったと記憶している。
 先輩方も多くて10年分くらいしか蔵書せず、どんどん処分していたという。私のように50年分も残している者は少ないようだ。


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 SOCJは1982年に結成したが、西武自動車販売店に集まっての談話が主体だった。1992年になって、クラブ員のサーブに対する思いを『10周年記念特別号』にまとめたことが、今日まで続いた会報誌の始まりになった。
     
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 その翌年1993年に会報第1号Vol.1を発行。
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 私がSOCJに入会した1994年にVol.4が作られ、1996年のVol.5から年3冊発行されるようになった。
 当初は原稿を数名がかりでリソグラフ印刷・製本・発送という作業が、パソコンが普及するにつれ集まった原稿を、一人でDTP作成して印刷会社へ送るようになる。アドビイラストレイターのような画像処理ソフトを持っている編集担当個人の、作業負担が大きくもなった。

 

     Ssaabway4_1 

 

 一時期、クラブ誌編集に携わってきたので、小さなクラブの会報ではあるが散逸してはもったいないので、冊数がまとまった時点で合本にしていた。
 製本屋さんへ依頼した会報が、合本『SAAB WAY  Ⅳ   Vol.51-Vol.70』となって届いた。
SOCJ 1982年から2018年まで37年間の歴史が、この合本4冊に残っている。将来、クラブメンバーのどなたかに引き継がれるかもしれない。
 2019年からはサーブオーナーズクラブオブジャパンのHPで、イベント告知と参加受付をすることになった。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年3月15日 (金)

行動食の 干しイチジク

 行動食によさそうな、干しイチジクを買ってみた。

 以前紹介した市田柿はおおよそ5月頃が賞味期限だが、このイチジクは7月まで日持ちする。


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 味はあまり甘くないので、当方の基準に合格である。

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 難を言えば、表面がしっとりしているため、手袋に果汁がついてしまうことだ。
 ただ、2個づつ包装されているので、出発前に必要量をポリ袋へ詰め替え、食べるときに工夫すれば指にべとつきは残らないだろう。
 
 入手については、スーパーの特設コーナーに置かれてあったため、欲しい時に手に入らないことが大きな問題点である。



 

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2019年2月28日 (木)

ハノイ1940年(昭和15年)ころの 観光地図

 今、米朝会談が行われ、世界が注目しているベトナムのハノイ。

 写真は、1940年(昭和15年)ころのハノイ観光地図。

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      レタリングがいい




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     オペラハウスはこのあたりか




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     間違いなさそうだ
 
 仏領インドシナあるいは仏印と言われていたころ、父親は南支派遣軍の軍属として航空部隊に所属。広東へ上陸後、陸路か空路か海路か聞かなかったが、ハノイへ進駐した。
 フランス軍が撤退した後だったので倉庫には食料や酒類が山と残されていて、毎日ビールを飲んで過ごし、ライチ・マンゴー・パパイヤなど果物がうまかったこと、食傷気味のバナナは天ぷらにして食べたと聞いた。
 

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2019年2月24日 (日)

『釜定』さんの 馬蹄形鉄器

 荷物を整理していたら、馬蹄をかたどった南部鉄器が出てきた。

 
 同じ頃にもらったペン皿と小さな灰皿は使っているが、これは壁にねじ込んで使うものなので、石膏ボードの部屋には取り付けできず仕舞いこんで行方も記憶もなくなっていたのだ。

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 表面のエンボスから、1975年に記念品として学校関係者へ配られたものと思われる。

 新しい部屋の内壁はパイン材なので、ふさわしい場所に取り付けようと思う。
 

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2019年2月 5日 (火)

購入品の タグ

 商品のタグを処分しようと、箱から出してみた。

 1980年代以降の山用品のタグは、ほぼ残していたのだ。


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 眺めていたら、処分はもう少し先でもよいかと思い直し、籠へもどした。
 籠の中の赤いタグは未脱脂ウールグローブのもので、定価は 4300円がついていた。
 それを値下げして 2150円 → ええいっ 980円 → 持ってけドロボー特価300円となったところで購入したのだ。
 いかに原価が低いか想像できる。
 以前は、こういうお買い得品がちょくちょくあった。

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 近ごろ1970年代以前に使われていた飛行機マークの印刷された SAAB 部品の空き袋が、外国のネットオークションに出ているのを見かける。
 数年前、 SAAB 99 と一緒に新オーナーへ渡した部品は、紙袋・ビニール袋も含めて値打ちがあったのかな。

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2019年1月28日 (月)

貝印の カミソリ

 毎日使っている貝印のカミソリ。

 この値段でこの切れ味、さすがメイドインジャパン。

以前は柄の色が緑だったと記憶しているが、男子の使用率が下がったのかピンクになって女性の美容品コーナーに置かれている。

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 温泉宿やホテルに置いてある T 字型のカミソリは、鼻毛や眉毛、もみあげの位置など細かなところが剃れないし、深剃り具合が今一つしっくりこないため使わない。
 

 自分で髭を剃るようになってから数十年、このタイプのカミソリを使っている。
 取り扱いには細心の注意を払わないと大けがにつながるから、切り傷が増えてきたときは人生の終焉が近づいたと考えている。

 

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2019年1月 1日 (火)

本年も どうぞよろしくお願いいたします。

本年も どうぞよろしくお願いいたします。   己亥正月

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    紅白の南天


 尾根の向こうの、滝を登った先の、初めて見る景色に感動する山登りは、冒険心をくすぐり、想像力を掻き立てる遊びだと思います。
 
 従いまして、写真による山のコース案内はネット上のそちらに任せ、当ブログは手元にある山道具にまつわるよしなし事を今年も書いてまいります。
 
 また、 SAAB は故障知らずで元気な 2007年モデルの 9-3 ですから、せいぜい SAAB ロゴの入ったあれこれを取り上げたいと思います。



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2018年12月24日 (月)

SAABの 琺瑯製看板

 SAABのロゴが描かれた琺瑯製の、小さな看板が届いた。

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 琺瑯製の看板は、プラスチック板への印刷よりも趣があって好ましい。

 以前、SAAB 飛行機マークの琺瑯看板がオークションに出たことがあった。
 入札したが予想価格よりずっと値が上がったことと、飛行機マークのついた SAAB 99 を手放した直後でもあり深追いしなかった。
 
 門扉への取り付け場所と固定方法は思案中なので、しばらく机の上に置いて眺めることになる。

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2018年12月16日 (日)

バブアーの 防水用オイル

 アブアーの防水オイル。説明無用の英国ブランド。

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 先輩の形見分けで、オーバーミトンとともにいただいたもの。

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 このオーバーミトンは、アルファベットの印刷文字が薄く残っているし、人差し指の部分が布で作られていて寒冷地で銃を扱う兵士の装備と想像できるから放出品に間違いない。
 
 布の部分へバブアーオイルを浸み込ませ、革には保革油をすりこんだら蘇った。さすがはミルスペック品ゆえヘビーデューティだ。
 衣類にもミルスペックがあるかは知らないが、相応の厳しい規格があるはずだ。


 まさか、先輩はミトンのためだけに、このバブアーオイルを買ったわけではないと思うが。ともあれ、今年の雪山に持ち出してみよう。
 

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2018年12月 1日 (土)

行動食の 干し柿

 近所のスーパーマーケットに、干し柿が並びだした。

 以前のブログにも書いたが、冬の山歩きには行動食・非常食として市田柿を欠かさない。
 
 ザックにパッキングする場合は行李に入れるが、他のものと一緒に詰め込むし、歩きながら食べるためはウエストバックに突っ込んだりもする。
 したがって、あんぽ柿の柔らかさより市田柿のほうがつぶれにくく取り扱い易いし、賞味期間が3月末日くらいまでと長いこともうれしい理由である。
 干し柿には大別して、市田柿に代表的される粉の吹いたやや硬質のものと、あんぽ柿という軟質なものの二系統があるようだ。
 
 全国にはその土地ごとに干し柿を作っていると思うが、わたしは寡聞にしてこの二系統しか知らない。
 
S_2        手間のかかる商品なので、生産者の減少が心配だ

 写真左下の「ほし柿」は、恵那峡SA上り線で見つけたもの。
 近所では市田柿とあんぽ柿しか見かけないから、これは生産量が少なく地産地消の干し柿かもしれない。頑張ってほしい。

 写真右上は、山梨県産のあんぽ柿。
 あんぽ柿は福島名産と信じていたので意外な気がする。それは子供の頃に、福島県出身のお隣さんからよくいただいたからである。
 
 市田柿は、大手のスーパーマーケットができ始めた頃から広まった気がする。それ以前、多摩地方の八百屋で売られていたのは、コロ柿という粉吹き系の干し柿だったと思う。
 

 粉吹き系統に「蔵王のつるし柿」もあるが、近ごろ見かけなくなった。

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2018年11月21日 (水)

ブルックスブラザースの 200年

 ブルックスブラザース200年記念展が、文化学園服飾博物館で11月30日まで開かれている。

 若いころはニューヨーカーやJプレスだったが、ブルックスブラザースはデパートに出店してからようやく買えるようになった。

 写真の立派な書籍は、10数年前にジャケットを買いに行った折にいただいた周年誌。
 表紙は代表的なピンストライプ柄の生地を使っているので、長い間に虫食いの跡が・・・。


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       右の別冊は邦訳版
 
Photo        こちらは、手帳サイズの100年史








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2018年11月12日 (月)

コーヒーの ドリップポット改良

 コーヒーを淹れるドリップポット(YUKIWA製)を改良した。
 

S   奥:「珈琲夢職人」さん所有のオリジナル 先端を少しすぼめている
    手前:©4bayan好み オリジナルとの曲線の違い 
 
 
 ポットを傾けてゆき、注ぎ口付け根の丸く膨らんだ部分に空気が入った途端、それまで細くでていた湯がボコッと吹き出て不愉快な思いをしていた。
 コーヒー 1-2杯分を淹れるならそんなことにならないだろうが、当方はポットの蓋ぎりぎりの湯で7杯分作るので、このような現象が起きると思う。
 
 
 付け根の丸く膨らんだ部分から先をガスバーナーで赤めて矩形に成形し、さらに注ぎ口とポット付け根付近までを直線に近づくようにハンマーでたたいて整えた。先端も湯が希望の細さで出るように絞った。
 もう少し筆記体の 「 f 」 に近い線を出したかったが、割れてしまっては元も子もないのでここまでとした。

 結果、湯はポットの傾きに比例して、狙い通りの細さで滑らかに出るようになった。これで、長年の不快感がようやく解消された。
 
 オートバイのエキパイのように焼けた色は、凹凸を隠すためにそのままにしている。




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2018年11月 1日 (木)

水墨画家 張大千の 折り本

 水墨画の大家 張 大千の折り本である。

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 内山雨海と親交のあった 張 大千の折り本が古書展に出ているというので、水墨画教室の帰りに先生(雨海の孫弟子)と見に行った。
 先生曰く 真筆であると。
 お言葉ではありますが、帆船や松の墨色が単一で、とても達人のものと思えず贋作かと。
 しかしながら迷いのない筆運びもあって、参考にするため求めた。

 絵が単調なので君に譲った、と先生の後日談あり。


Sss



 大家になると贋作も出回るというが、果たして真贋やいかに。


 

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2018年10月18日 (木)

瑞典の オプチマス 8R

オプチマス 8R  瑞典製

8r

Sr


 スウェーデンを漢字表記すると瑞典。 なぜこの字を当てたのだろうか。
 藤堂明保博士の『漢字源』を引いても「めでたい前知らせ、めでたい儀式、式典」とあって、スウェーデンには触れていない。
 ウイキペディアを見るとほかの漢字表記もあるようだ。

 それまで使っていたのはスベア 121 石油コンロで、初心者は安全な石油が良いと秋葉原の「ニッピン」でアドバイスされて買ったものだ。
 後年、会の新年の福引に提出したため、今度はガソリンにしようと思い、スベア 123 にするか、ホエーブス 725 にするかオプチマスにするかで迷った末に、この 8R を購入した。
 
 
 付属のハンドルはスベア 123 と同じプレス加工の簡素なものだったので、コッフェルを乗せたまま火力調整できるように、ホエーブス 725 用のハンドルを改造した。
 これより古い 8R は、このようにシャフトの長いハンドルだった。
 
S8r_2      

 購入当時の品物は塗装の品質が落ちてきたのか、数年で錆が浮き出したため黄色と青のラッカーで塗装した。
 

 最近、元の塗装を出そうとシンナーで拭いてみたが『覆水盆に返らず』になった。

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2018年10月 5日 (金)

独)ペトロマックスの ストーブ

 写真は、ドイツのペトロマックス社製石油ランプ  。
 昔の塩見小屋で写したもので、小屋は近年建て直したと聞くが今でもこのランプを活用しているのだろうか。
 ランプは、山小屋の夜の雰囲気をいや高める一つだ。

Photo

 真鍮のボディーに打刻された 「 Petromax 」 の rom の部分が、ポンプの上にうっすらと見て取れるがいかがだろうか。

 さて、こちらは同じペトロマックス社製の石油ストーブ No.220。

S     箱の配色はなぜか スウェーデンカラー 


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Photo
      真鍮のボディには MADE IN GERMANY
S_3         バーナーヘッドはスベア製 MADE IN SWEDEN 

 ニップルの清掃用ニードルと分解用スパナがなくなってしまったが、石油を入れればいまだに現役だ。
 

 この手の石油ストーブはスウェーデンのスベアやプリムスが有名だが、日本やドイツでも作っていた。

 
 

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2018年9月17日 (月)

籐椅子の 張替え修理

 籐(ラタン)椅子の張替え。

 60年位前の、古典的なシルエット。

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 長年使いこんできたので切れたり、のびたり各部に痛みが目立ってきた。

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 ずいぶん前になるが、手芸店でラタンの材料を買ってきて部分補修をしてみたが、次々と切れてしまうのでこの辺でしっかり直してもらうことにした。
 ネットで調べると、八王子に「Aラタン」というラタン修理専門の店を見つけた。現品の写真を送って、見積後に持参した。 SAAB99 の主治医もそうだったが、職人と直接話をすることで、技量や考え、職場の様子(4S)がわかって安心して任せられる。
 
 
 編み直し後の籐椅子。
 
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 依頼前の名残はフレームだけで、座面はもとより接合部もすべて5ミリ幅くらいのラタンで編み直してあった。 
 座面の張りも戻り、また50年使えるようになったから、職人の技術料は抜群に安いと思う。
 


 最近、英国バーバリー社の売れ残り商品の大量焼却問題が報じられたが、朝日新聞2018年9月13日の夕刊に”良いものを長く「賢い消費」へ”という記事があった。
 過剰生産、大量廃棄からの変革を考える時代になったし、その兆しも見え始めたと書いてあった。
 
 良いモノ、気に入ったモノは、繕いながら大切に使うことで一層愛着がわいてくる。
 
  
 

 ただ、この籐椅子を次の世代が長く使うかどうかは分からない。


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2018年9月 9日 (日)

南支派遣軍の 写真集

 南支派遣軍の報道写真集。


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             奥付は、昭和15年3月20日発行 非売品 とある 
                   余白には万年筆で、在広東のメモ 
 
 小学生の頃、この写真集を繰り返し見た。そのころから比べると、虫干しもせず暗い本棚に仕舞いっぱなしだったので、かがり糸が切れたりして状態が悪くなってしまったのは致し方ないところだ。
 表紙のクロスに、箔押しで南支派遣軍。文様は中国に多いレンガのフランス積みをイメージしたと思われる。
 
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 2007年2月ころと記憶しているが、日本カメラ博物館で企画展『名取洋之助と日本工房』があって、この図録を購入した。

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 企画展で初めて『南支派遣軍』写真集が、名取洋之助達の国際報道工藝社の制作と知った。
 国際報道工藝社の前身は、昭和8年設立に名取洋之助が設立した日本工芸でグラフ誌『NIPPON』を海外向けに発行した。

S_8           雑誌で『NIPPON』や『FRONT』の紹介があると切り抜いた

 昭和9年創刊の『NIPPON』が今でも時折取り上げられるのは、グラフィックデザインの斬新さが現在でも通用するからだろう。


 『NIPPON』の紙面に魅かれるのは、小学生の頃見た『南支派遣軍』写真集の影響が大きく、余白の使い方を参考に某雑誌の紙面のレイアウトをしていたが、上部の人には不評であった。
 
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        中央が名取洋之助著『写真の読み方』(岩波新書)
 

 『写真の読み方』から、編集者のキャプション次第で右寄りにも左寄りにもなると教わった。



 付録なのか、写真集にはさんであった『広州市馬路全図』。

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           昭和14、5年当時の広州市の街並み


 8月15日の当ブログで取り上げた『支那事変 戦跡の栞』の裏表紙に、父親は昭和十四年五月のメモを残している。そしてこの昭和十五年三月発行の『南支派遣軍』に、在広東と記している。従って、昭和十四年五月から昭和十五年までは広東に駐留していたと思われる。



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2018年8月15日 (水)

平成最後の終戦記念日

 平成最後の終戦記念日

 日支事変の頃、仙台から上京し航空工廠に勤めていた父は軍属として徴用され、南支派遣軍の輸送船で中国へ渡り、広東の飛行場に進駐した。
 そのころ、軍属を含め兵隊に配給された 上巻(河北・蒙彊地区・山東・山西の部)、 中巻(江蘇・浙江・河南・安徽の部)、 下巻(江西・湖北・湖南・広東・福建・広西・四川・雲南・貴州・陝西の部)の3冊からなる『戦跡の栞』という冊子が出てきた。
 
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 内容は平易で観光ガイドブック的な仕上がりになっている。支那事変各地の戦闘状況はもちろんだが、各省の概説、歴史、地質、地形、気候、物産、住民と言語、名勝など軽快、軽妙な筆致で書いている。総ルビなのもうれしいし、地名は中国語読みもつけてある。
 冊子の刊行趣旨を少し長くなるが書き出しておく。

「今次事変の終局目的たる日支の真の提携と共栄の上に、東洋永遠の平和を確立せんが為には、将兵各自並びに全国民が、支那を徹底的に認識することが最も最大の要務である。
 本書は現地将兵の慰問品として分配するものであるが、右の見地に立ちて、大体占領地域を中心として体験せし実践の経過を追憶し併せて支那事情、主として人文地理的事情を説述し、以て現地将兵の便に供し、更に銃後への通信及び、帰郷の時に際して、之を広く郷当に普及伝達し、以て日支の真の親善に資せんとするものである。
 故に本書の説述に当たりては、飽くまで中正妥当の見地に立ちて記事の正鵠を期すると共に一面情味豊かなる読物たらしめ、苟も独善冗漫に流る事なからしめた。
 かくして縦に支那の地理を伝え、更にその上に動く支那と、そこに戦われたる皇軍聖戦の真相に徹せしめ以て今次事変に関する認識と将来の覚悟とを完からしめんとするものである。
            陸軍恤兵部」 

 発行日は上巻が昭和13年9月1日,下巻が同年12月1日となっているから、事変勃発から1年数か月でまとめ上げたことになる。
 
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 広東では、第二十一野航(安田部隊)に配属されたことが、裏表紙の見返しに「第二十一野航 日支事変出征に際し 給与さる昭和十四年五月十九日 皇軍ハイアス湾敵前上陸後一か月目に広東に上陸せり  〇〇〇  」と記していることからわかる。
 
 バイヤス湾敵前上陸を行った父の次兄(仙台二師団歩兵)は、その1-2か月後に弟が広東の飛行場に入ったことを知って訪ねてきたという。
 戦の中とはいえこのころは意外と自由な行き来ができたようだ。どんな会話をしたか聞き漏らしたが、別れの時の心情はどうだったのだろう。


 男4人女3人の末っ子が父で、長兄は砲兵、次兄が歩兵、三男は工兵として地元の第二師団から戦地へ送られた。
 なかでも次兄はシンガポールで終戦を迎えるまで十数年間転戦したといい、長兄は山砲の音により鼓膜を破り、三男は架橋や渡船のためクリークに長く浸かったりして体を痛めたが、それでも兄弟4人無事に終戦を迎え仙台に戻ることができた。迎えた母親の髪は真っ白になっていたという。


 子や夫を応召されたご家族どなたも同じであるが、陰膳据え膳を毎日かかさず供え、わが子、わが夫の無事帰還を願っていた。


 ちなみに、祖父(父方)は日清戦争で出征(仙台第二師団)した際、小さな手帳に改行もしないで記録を残している。

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2018年8月 7日 (火)

スウェーデンと日本の ナイフ

 仕舞い込んでいたスウェーデン製のナイフと、日本のナイフ。
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          上 日本,  下 スウェーデン製

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        革ケースに、サーメ伝統の焼き印

 スウェーデン製のナイフは、ラプランドのサーメ人から記念にもらったものではなく、御徒町の店で柄の杢に魅かれて買ったものだ。
 この杢は 最近雑誌に取り上げられている北欧のククサと同じ白樺のこぶから作られたものだろうか。ブライヤーとも違う不思議な文様、手触りだ。
 購入後、使う機会がないナイフは本棚の奥に何年も仕舞いっぱなしだったし、もう店の名も場所も忘れてしまった。あの時、店主から確かにスウェーデンのナイフと説明があった・・・。


S_2        全長20㎝ 柄頭の金具は紛失した

 日本のナイフ、いや小刀といったほうが適切だ。
 昭和の初めころ、父親が焼き入れの勉強のために作った、と聞いている。中央に2ミリ程の焼き割れが見える。鞘も柄もハバキもすべて手作り。
 これをもらった時には切っ先がきちんと研ぎだされていたが、何度か自己流で研ぐうちにこんな姿にしてしまった。



S_3       中空の白く長い毛は、触ると折れる  産毛は抜けない

 トナカイの毛皮は、長い毛がぽきぽき折れてしまい敷物には向かない。シベリア土産として頂戴してから30年くらいになるが、これも物置にしまい込んだままだった。

 毛皮は最近の炎天下に数日干していたが、匂いと抜け毛がひどいので、惜しいが処分することにした。
 

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2018年7月26日 (木)

地下足袋が 見つかった

 片付けをしていたら地下足袋が出てきた。沢登りや山登りに使っていたころのものだ。


S     月星の3枚こはぜ と、のらぼう(五日市・奥多摩地方の菜)
 
S_2     地下足袋は先の大戦時、南方戦線では有用だったと聞く
 
 私の沢登りは初心者の域を出ないまま終わってしまったが、家を出てから沢の出会いで草鞋足袋と草鞋に履き替えるまでの間、今でいうアプローチシューズとして使っていたモノだ。
 
 その後、「Wの仲間」に所属している友人から、フエルト底の渓流足袋を勧められて使うことになった。ただ、アプローチにはこの“月星の3枚こはぜ”を履いていった。
 登山靴に比べて軽い反面、笹の蜜藪では指の股に笹が挟まり大きな抵抗になって往生した。

 庭いじりには「ミツウマ」の長靴を使っているが、たまにはこの「月星」の地下足袋を使うことにしよう。
 そして、祖父が冬の鉄砲撃で冷え切った足を、地下足袋のままひじろの灰の中へ踏ん込んで暖を取った、という話を思い出そう。



鉄砲撃   =八王子弁(はちょーじべん)で てっぽうぶち と発音する。
ひじろ   =八王子弁(はちょーじべん)で 囲炉裏のことをいう    
踏ん込んで =八王子弁(はちょーじべん)で ふんごんで と発音する

はちおうじ と言ったとたん、在の者ではないことがわかる。




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2018年7月11日 (水)

出番の減った ザイル (クライミングロープ)は

 使う機会が無くなったザイル(クライミングロープ)は、押し入れの奥や物置にしまわれているのだろうか。

 私の 8ミリ 40m は、沢登りに持ち出していたのは30年位前までで、その後2階建ての屋上から分解した物置を地上へ下すときに一度活用した。

 6ミリ20m  はバリエーションハイキングの時にザックに忍ばせていたが、近頃は出番がなくこちらも本棚につるしっぱなしだった。しかし、今月に入ってから文庫本や雑誌類その他の物資を、屋上から地上へ下す作業が出来した。
 そこで、詰め込んだ段ボール箱を、習い覚えた肩がらみで下ろしている。

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       使わなくなったハーケンは本棚に打ち込んで

 まだ15箱分くらいの荷物が残っているが、思わぬところで、ザイルや肩がらみが役立った。
 
 ハイキング中、いつ何時ザイルを必要とする場面に出くわすとも限らないから、ザイルだけで下降する肩がらみの懸垂は習得しておくとよい。
 なぜかというと、ハイカーは、岩屋さんや沢屋さんと違って一人一人がハーネスやエイト環などを持ち歩かないので、わずか数mの林道のり面を下降するときでもパーティはスムーズに行動できるからだ。

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            ICIオリジナル クライミンググローブ
 
 使っていたころは感じなかったが、指先の出たクライミンググローブは指を損傷しそうになった。
 
 

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2018年6月27日 (水)

熊よけの鈴

 ハイカーの皆さんは、どんな熊よけ鈴を使っているのだろう。

 私が使っている熊よけの鈴は、昔ローツェをやっつけた帰りにナムチェで買ったネパール土産である、というのは冗談で地元の書店が特別展をした時に求めたモノだ。

 それまで修験者が持つ金剛鈴を、下山後に立ち寄った店や骨董屋での偶然の出会いを期待して探したが縁がなかったということになる。

 鋳型を使った量産品とはいえ、バリの残っている穴あけ部品の溶接具合は稚拙だが全体の造りと似合っている。しかし、その外見から想像できないいい余韻が残る。
 はじめは小ぶりのものを買ったのだが、音が小さいので大きいほうを翌日買い足した。
 澄んだ清らかな音が遠くの熊にも聞こえているはずだが、どうだろうか。


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 奥多摩の鷹ノ巣あたりの縦走路を鞍部へ向けて3人で下っていたとき、トップの私は200メートルくらい反対側から同じ鞍部へ下る単独行者の黒い姿が視界にちらりと入った。てっきり鞍部ですれ違うものと思っていたが、単独の黒い影とは落ち合わなかった。
 そういえば、ぜんたいに黒っぽかったし、リュックを背負っている風にも見えなかったから熊だったのか。後ろの二人は全く気付かなかったという。


 鈴の効果だろうか、いままで熊らしいケモノに出会ったのはこの時だけである。
 
 

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2018年6月13日 (水)

八王子千人同心(千人隊)

 東京都の西端、甲州街道に沿って千人町という町がある。

 徳川家康が幕府を開いたときに、西の防備と八王子周辺の治安維持のため旧武田家家臣で組織した「千人同心」を、この地に住まわせたことが町名の由来になっている。

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 江戸幕府開闢から今日まで、代々同じ場所に生活している集団は珍しいと思う。
 「千人同心旧交会」は末裔たちの集まりで、先祖の行動や業績を研究、発掘し、ゆかりの地を巡って顕彰している。




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2018年5月25日 (金)

明治150年

 人口に膾炙されているが、
   降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男
 
 今年は明治維新から150年ということもあって、催し物や、明治維新に関する出版物も発行されている。
 
 50年前の昭和43年(1975年)には明治100年を記念して、「銀座スクエア」というミニ冊子が発行された。
 
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 第1号の表紙には、明治100年代銀座祭記念創刊、奥付に GINZA SQUARE No.1、 昭和43年10月10日発行、定価10円 とある。
 
 手元に残っている最後の「銀座スクエア」は昭和48年7月20日発行の21号なので、5年間はメグロ1K に乗って銀座のソニービルまで買いに行ったことになる。
 雨上がりの都電のレールは、タイヤが滑ってひやりとしたことがあった。
 
 そのころから毎週のように山へ行きはじめたので可処分所得と時間は、メグロや銀座から山へ移行していった。
 
 その後「銀座スクエア」は何号まで続いたのだろう。
 
 
 

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2018年5月13日 (日)

ローバーの ビブラム剥がれ

 LOWA(ローバー)軽登山靴のビブラムが剥がれた。
 
Slowa
 
 
 過日、お花見山行に誘われたので靴を出すと、ビブラム底とクッション部分の接着がはがれていた。
 これがウレタン底の弱点、加水分解による剥離だ。
 購入してから20年になるだろうか。さほど活躍しないうちに残念なことになった。
 手元にきた後、6月の南本内岳でスプーンカットの残雪が固く、キックステップが効かなくて往生した記憶がある。
 
 登山用品店の閉店セールで、このLOWAの値札には定価の半額くらいの数字が書いてあった。
 すでに写真右上の goro のスイス革軽登山靴を使っていたので、軽登山靴の使い分けにためらいがあった。
 そのころ会の藪山リーダーをしていたA先輩が履いておられたのが、ピカピカに磨き上げたこのLOWAだった。
 どのピークに立っても、見える範囲の山座同定が即座にできたA先輩の、山に対する信条が手入れの行き届いた登山用品に表れていた。そんな姿に靴だけでも真似ようと大いに迷った末に、割安感も動機となって購入したのだった。
 
 
 お花見山行は、スイス革の軽登山靴でいったが、案の定「大げさだな」の一言があった。
 剥離に気づかずLOWAでゆき、山の中でビブラムが剥がれてもそれはそれでお花見の座興になったかもしれない。
 
 
 

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2018年4月29日 (日)

スチール製 スキーストック

 古いスチール製のストック。
 
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左:スチール製  良質な革を使い手間を惜しまぬ造り 1960年代後期
右:SWIX 社のカーボンファイバー製 裏革でシャフトに接着 1990年代?
 
Sswix_sandvik
 
 


 40数年前のこと、穴熊の尻皮を買いに行った隣町の運動具屋さんの片隅で、埃をかぶっていた作りの良い皮グリップを見つけ、取り出すと籐製のリングが付いていた。
 よくもまあこんな東京郊外の運動具屋さんにスウェーデン製の渋い品物が置いてある、と親父さんの審美眼に敬意を表して購入したのである。
 この町の名を冠した山岳会は、路地裏のこの店から用品を購入していた。
 
 SANDVIKEN SEEFAB PICK (注:17ページのPDF表示は10秒くらいかかります)とラベルに書いてあり、わざわざデュアルテーパーと謳っていることから、鋼製パイプを中央から両端へ向かって細くするのは技術的に難しい作りだと考える。
 
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   消えてしまったが、丸いラベルには長さ139㎝と印刷してあった
 
 
 皮革グリップの滑り止め加工、籐と皮のリング、鋼製のパイプという組み合わせは、合竹製から軽金属製に移行する端境期の貴重な製品と推測できる。
 
 
 
 
 SANDVIKENはスウェーデンの鉱工業の町の名で、そこに SEEFAB 社があるようだが、今でも存続しているのか、どこかの会社の傘下に入ったかはわからない。
 
 
 
 
 

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2018年4月14日 (土)

ピッケルの アルペン差し

 もう使わないから、と85歳の先輩がピッケルをくれた。
 CHARLET-MOSER G、メタルシャフト60センチだ。
 この長さが「アルペン差し」できる限界かもしれない。

 

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 「アルペン差し」とは、ピッケルをザックと背中の間に差し込む携行方法で、ザックを下ろさずにピッケルを取り出せる反面、うっかりかがんだりするとピッケルが抜け落ちることもある。

 

Yamakei

        参考:ピッケルはシャルレだね L=75㎝?

 

 1970年頃、先輩達に倣って背中にすとんとKADOTA」を差したとき、横にいたA先輩が「アルペン差しだね」と声をかけたので、初めてこの方法に呼称があることを知った。
 ただ、A先輩以外にこの呼称を使う先輩たち(日本山岳会にも所属はいなかったので、某公営放送局に勤めていた彼のおつな造語と思っていた。


 あれから数十年。
 先日、調べ物をしていたらこんな記事を見つけた。


 古い『山と渓谷』の「Q&A 」の項に、星川和男氏(東京・四谷にあった登山用具店「チョゴリザ」の主人)がピッケルの携行方法を「アルペン差し」と図入りで説明していた。
 
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          下段中央に「アルペン差し」とある

 従って、この言葉はA先輩の造語ではなく、そのころ他の山岳会でも使っていたのだ。
 また、tabilogue2さんが書いているように、その土地特有の呼び名もある。あってしかるべし、東京に倣う必要なし。


 むかし、刀は武士の魂といった。
 今でも、刀を扱う場合に刀礼は欠かせない。
 ピッケルは、刀と同じように鋼を鍛造して作ることから岳人の魂といわれた。


「アルペン差し」と命名した人は、侍の「二本差し」をふまえたうえで洒落たのではないかと思う。江戸っ子だね。

 

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2018年3月26日 (月)

スウェーデン鋼の 包丁とスキーストック SEEFAB PICK

 トマトの皮が切れなくなったので研いでほしい、と包丁を渡された。
これまで何度も研いできた包丁だ。
 
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 今回、何気なく銘柄を読むと、
 
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 包丁の製作者銘(会社名)の下に、 SWEDEN SANDVIK の刻印を見つけた。
 SANDVIK 社の鋼材を、日本のメーカーが包丁に仕立てたということなのだ。
  
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 以前 SAAB WAY Vol.20 ( SAAB OWNER'S CLUB OF JAPAN の会報)に書いたスキーストックと同じSANDVIK の文字を見て、国産品とばかり思い込んでいた包丁から新たな発見があった。先入観で物事を見ないようにということか。
 
 
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       スキーストックの ラベル文字上段から
        SANDVIKEN  / SEEFAB PICK  /  DUALTAPER   /  made in Sweden
 
 
 スキーストックは、SANDVIKEN にある SEEFAB 社製。
 
 包丁とスキーストックの意外な関連、これも SAAB という車に乗っているからこそ繋がったモノだ。
 
 
 
 
 ミネルヴァ書房から 『包丁』(信田圭造) がでている。
 
 

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2018年3月 4日 (日)

2018 ヒストリックカー仙台の 案内が届いた

 2018 Historic & Classic Car Meeting in SENDAI の案内状が届いた。
 昨年名簿から削除をお願いしたのだが、事務局変更の折復活してしまったかもしれない。
 
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 このイベントに初めて参加したのは、2010年と記憶している。
 
 金曜日の夜東京を出発するときは雪の予報ではあったが、東北道を北上するにしたがって予報は現実となり、白河サービスエリアへ到着するとその先は通行止めとなった。
 
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     あづまみちのく 白河の関
 
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     友よ 夜明けは近い
 
 
 通行止めが解除されたのは、あくる日の陽が高く昇ってからのことだった。
 
 法定速度上限で休みなく走ったが、会場の勾当台には役員の方数名を残し、参加車両は今宵の宿秋保温泉へ出発した後だった。
 
 秋保温泉での懇親会は、仙台某所の杉林に人知れず苔むす我が家累代の墓地を知る人や、仙台藩士の末裔氏、登山を趣味とする同好の士らあやしくおもしろき人多かりけりだった。
 
 翌2011年のイベントも楽しみにしていたが、そのひと月前になる3月11日未曾有の東日本大震災が発生したことは記憶に鮮明である。
 
 
 この SAAB 99 は、2年前に手元を離れた。
 
 
 
 

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2018年2月21日 (水)

2月22日 猫の日

 2月22日は、猫の日と tabi-logue2さんのブログで知った。
 
 我が家には、御年21歳のキジトラ君がいる。
 いや、キジトラ爺かな。
 
 獣医から聞いたところによると、ギネスブックに載っている長寿猫は25歳くらいらしい。
 
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      かんじーざいぼーさーぎょうじんはんニャー
 
 22年前の梅雨の肌寒い日、子供が三毛猫を拾ってきた。尻尾の先がやけに細かったので動物病院で診てもらうと、棒で打たれたようで組織が死んでいるという診断だった。そのため切除してボブテイルになった。
 
 その三毛猫はその年の秋、3匹の子を産んだ。
 その一匹が、このキジトラ爺だ。
 
 先日、爺が顔を振った瞬間に硬いものが飛んできた。拾い上げると、猿の腰掛のように歯石がついた歯だった。
 この数カ月よだれが多く、食事のあと何か口の中に残っているしぐさをしていた原因がこれだった。
 
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 また食欲が戻った。
 よだれも出なくなった。
 ただし、肝機能が低下しているとのことで、現状維持のため週一回の治療を続けることになった。
 
 
 

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2018年2月10日 (土)

ジルブレッタ125Aの 調整

 今シーズンは雪山へ入れそうなので、一昨年新調したままだったジルブレッタ125A と登山靴の嵌合をあらためて確認した。
 
 その結果、前金から出ている針金の末端が3ミリほどビブラム底面に当たっていたので削り取り、靴を踏み入れるときの引っ掛かりを無くした。
 雪の中で、もたもた操作するようでは体が冷え切ってしまう。
 
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 次に、針金登山靴のコバに充分かかるように曲げた。
 曲げ作業は、和竿を調整するような道具を作れなかったので、 SAAB 99 のミッション・ドレンプラグ専用工具を使った。
 
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 針金はバネ鋼のように硬く、材質の粘りが分からない。
 折れてしまっては取り返しがつかないので、この程度にとどめた。
 
 調整前に比べて、コバにかかっている部分が多少増えたので歩行中に外れることはない・・・ハズだが。
 あとはできるだけ外れないように、セーフティを最強にしておく。
 
 
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 ドイツ山岳兵用に開発されたジルブレッタについて、40年ほど前の教科書『実践 現代山スキー』(佐伯邦夫 東京新聞出版局)は、多くのページを割いている。
 
 
 
 

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2018年2月 1日 (木)

シュイナードの ウエストバック

 シュイナード イクイップメントの ウエストバックです。
 
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 インパクトのある色使いです。女性向けでしょうか。
 林家ペーパー子プロデュースの品ではありません。念のため。
 
 
 ワイン色と違って、なかなか手を出せる色ではありませんが、激安価格とシュイナードのタグ(ひょっとして初期のブラックダイアモンド?)に魅かれて購入したモノです。
 
 自然界では大変目立つ色だし、三種の神器と行動食もたっぷり入るので山スキーでは重宝しました。
 
 久しぶりに取り出したら、隠しポケットに湯殿山のお守りが残っていました。
 
 
 
  ※シュイナードのカメラストラップ
 

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2018年1月13日 (土)

マタギの 書籍

2018.1.20 02版 加筆
 マタギの本。
 
 2014年7月の「クラシックカー青森 Hero達のツーリング」で訪れた暗門の滝入口にあたる白神山地ビジターセンター。
 その売店の本棚にあった『白神学 第3巻』の表紙から、辻まことの文章を思い出した。 
 
 表紙の人物は、当時40歳代の目屋マタギ最後のシカリといわれる鈴木忠勝氏(1907~1990)。
 昭和27年8月に、民俗調査団が砂子瀬の山中で偶然出会った時の写真で、蓑を着てコダシを背負い、足元はわらじで山道を飛ぶように走り去ったという。
 
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       『マタギ』(戸川幸夫 クロスロード )
       『白神山地マタギ伝 鈴木忠勝の生涯』(根深誠 七つ森書館 )
       『白神学 第3巻』(山下祐介編 財団法人 ブナの里白神公社)
      錆びた両刃の刃物
 
 その文章というのは、辻まことが「谷間で失った肖像」に描いたドジョウ獲りの話だ。
 
 ---(略)(びっしょり濡れたズボンの腰にアミを巻き、ドジョウがびっしりと入った一抱えもある大きな籠を持った)年令はおよそ40歳前後の、しかし精悍な表情を持った男が小駅から乗った。(中略)私にはこのドジョウ獲りの男の生活のどこかに共感を持つこころもちがあった。(中略)その孤独で正直な渡世に生きる人の単純真摯な心を、失った宝を見るようにおもうのだった。
 農薬がドジョウを消さなかったように、今日の文明がまだ、人間の素朴なくらし方を完全に支配したわけではないことに、そういったくらし方を守っている人間が生きていることに、私は何か一つの証を感じ、その姿に祝福をおくりたかった。それは決して弱い素朴な野生の魂ではない。文明に作られた偶像を信じない、鍛えた無神論者の抵抗のような野生だ。私にはそういう人間が亡びないことを心のどこかで期待している気持ちがあった。-----     『画文集 山の声』(東京新聞)収録
 
 
 辻まことが電車でドジョウ獲りと乗り合わせたのは、多摩や相模の丘陵へブルドーザが入り丘を削り谷を埋め始めた、昭和30年代から40年代の初めころではなかったかと思う。
 その後、十数年の間にドジョウ獲りが生活していたであろう私鉄沿線は、クヌギやナラの雑木林に代わって高層住宅群や分譲住宅が建ち、谷戸の田畑は道路となり、曲がりくねった小川はコンクリートの護岸で囲われ真っすぐな川になった。
 
 精悍なドジョウ獲りも、急速な環境の変化に抗しがたく山を売り田を手放し「谷間で失った肖像」に辻まことが挿入した話のKのような暮らし向きに、変わってしまったと思う。
 
 
 
 
  ※参考資料:アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(スタジオジブリ制作)
 
 
 

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2018年1月 1日 (月)

SAAB 9-3と 南天

 平成戊戌 
 
 新春を寿ぎ
 SAAB 9-3 、南天。
 
 
Saab93





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2017年12月14日 (木)

マタギの被り物 笠?

2017.12.18 02 加筆

 矢口高雄の『マタギ』がヤマケイ文庫として復刻された。
 本日、書店に寄ったら、書架に『マタギ』重版のフリップがついていた。重版出来。慶賀。

  近頃のヤマケイ文庫は、名著復刻に力を入れている様子。

 

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 この漫画で知ったのか記憶ははっきりしないが、菅笠や編み笠とは違う茣蓙を三角にしたような笠があることを知って興味を持った。

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 いつだったか檜原湖のあたりで、土地の人がかぶっていたザルのような形の笠も初めて見た形だった。

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 数年後、飯豊連峰縦走の帰路、2時間もあった乗継時間にぶらぶらした米沢の町で偶然そのザルのような笠を見つけた。
 
その時すでに素材の藁は灰色がかって、在庫期間が長かったことが想像できた。

 

 笠を手にして混雑した急行列車に乗り込むと、座っていた老人から珍しいものを持っているねと声をかけられた。

 昔かぶっていたと言い、台座の取り付け方、善い行いをしたときに胡桃の殻を結ぶことなど話してくれた。

 心残りは、山形か秋田の訛りがあって聞き取れなかった事柄のほうが多かったことと、老人のお国を聞き漏らしたことだった。  

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 その後、機会あるごとに米沢を訪れて、老婆が店番をしていた小野屋商店を探したが見つからなかった。

  米沢の駅前で山仕事の道具を扱っていた店は、昭和とともに消えていったのかもしれない。

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2017年12月 1日 (金)

SAAB の 作業用手袋 『僕のみつけたもの』

 主に SAAB 99 の作業用に、20年ほど使ってきた手袋の指先に穴が開いた。
 
 
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    しまっておいた本棚の中でも革は時を刻んで退色した
 
 この手袋は、五木寛之『僕のみつけたもの』(集英社 1988 )というエッセイ集で紹介されたモノによく似たデザインだったので、氏を真似て2双買っておいた。
 
 
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 文中の品はドイツ製だが、こちらはタグもなければメーカーにたどり着く糸口もない。しかし、使ってみた品質はピカ一だ。
 
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 それにしても酷似した布地の模様と革の当て方、手袋の質感や使い心地も五木氏の表現しているとおりなので、ひょっとして同じメーカーだろうか。
 
 
 さて、 SAAB n 9-3 一台体制になった今では新しい手袋が活躍する場面はいたって狭く、ボンネットを開けたところで手が入らない、下へもぐろうとしても車体が低くて体が入らない。 
 せいぜい夏冬タイヤの交換くらいだ。
 
 
 
※『僕のみつけたもの』は、 SAAB ファンなら読んでおきたい一冊。文庫版もある。
 SAAB について「スウェーデンの宝石箱」「なぜか大人のSAAB」の二編が収めてある。
 このエッセイが雑誌『LEE』に掲載された1984~1988年は、 SAAB C900 の人気が高まったころである。
 
 
 

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2017年11月20日 (月)

スウェーデンカラーの スコップ?シャベル?

2017.11.21 02 加筆
 
 砕石を買いに行った隣町の外構工事部材の店に、このスコップが底の浅い段ボール箱に10本くらい入っていた。
 色が青と黄色だったから本能的に目にとまったのだ。
 
 205円という値段を見て古い在庫かと思ったが、バーコードが付いているのでそれほど昔の商品ではなさそうだ。
 
 家で使っているのは先端が錆びてなくなった黄色だから、迷わず青色を手に取った。
 
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 ヘビーデューティーな総金属なので、手にズシリと信頼感が伝わってくる。
 
 こういう店は量販店やホームセンターとは違った銘柄の、良い品物が適正な価格で置いてあって、棚を眺めるだけで楽しい。
 そして、古い在庫の思わぬ掘り出し物を見つけることがある。実際、探していた真鍮製南京錠が格安で手に入った。
 
 この店の従業員氏曰く。雨水桝の砕石を買いに来る客は相当なこだわり者だと思ったら、案の定イギリス、スウェーデンの各 SAAB クラブのステッカーを貼ったマニアックな車に乗っているではないか、とのことから SAAB の話題が広がった。
 
 
 余談だが、この店には『陸王』(「こはぜ屋」のシューズ名ではありませんぞ )の750cc エンジンが置いてある。
 
 
 
 TBS テレビ で毎週日曜日よる9時から放映している池井戸潤原作のドラマ『陸王』をご覧になると分かります。
 あるいは、原作『陸王』(集英社)を読んでも分かります。
 ネット検索なら、ドラマもオートバイもすぐ分かります。
 
 
 
 

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2017年11月10日 (金)

サーブと ボルボの 切手

 SAAB と VOLVO どちらが好き?
 
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 切手の図案は同時代の両社を代表する車で「 SAAB92 1950 」  「 VOLVO PV831 1950 」 と欄外に書いてある。
 
 身贔屓だが、やはり SAAB 92 のほうが軽快で速そうだ。
 

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2017年10月20日 (金)

辻まことの リトグラフ

2017.11.21 03版 加筆

 
 先日、突然額が落ちてきた。
 
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 辻まことの「雪渓」という題名のリトグラフだ。
 額を吊っている木綿紐が、数十年の歳月に負けて切れたためと分かった。
 
 ”辻まこと”の名は、山好きな人で知らない人は少ないと思う。
 彼が亡くなった年か、翌年だったか失念したが、新宿ステーションビルの山下書店で作品の即売会があった。
 20点前後あった原画にはそれなりの価格が付けられていたので、なかでも一番安いこのリトグラフを求めた。
 
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 その後、辻まことに関する書籍を購入したり、回顧展も見に行ったりしたが、このリトグラフにはお目にかかっていない。
 
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 即売会で一番欲しかったバスの車内を描いたスクラッチ画も、個人蔵となっているのだろうかいまだに目にしない。
 
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 また、『辻まこと全画集』も求めてみたが「雪渓」は載っていなかった。となると、真贋が気になってきた。
 私の見立ては、版は間違いないとして詳細は省くが自摺りと署名には疑問符がつく。
 果たして鑑定やいかに・・・。
 
 
 昔、先輩と雨飾山荘へ泊った時、玄関内の売店まわりを整理している様子で、外に埃だらけの古めかしい陳列ケースが放置してあって、その中のガラス棚の上に、反り返った一枚の絵があった。
 それは、A4の縦半分くらいの紙に、夜空の下に灯りのともった山小屋を描いた水彩画で、「石の湯ロッジ」の絵に似た構図と色、筆のタッチから辻まことの作品のように見えた。
 翌朝も、従業員へ「欲しい」とひと言い出す機会のないまま山荘を後にした。
 雨飾への登りは、値打ちも興味も持たれずガラスケースに置き去りになった、一枚の絵を救い出せなかった不甲斐なさ、後悔という心の荷で足が重かった。
 
 あの絵は陳列ケースと共に捨て去られたのだろうか。
 
 
 
当ブログを訪れた方から、掲題の「雪渓」は 1969年12月創文社刊『山のABC第3巻』60部限定特装版の巻頭に貼付のモノと題名、署名も同じと、教えていただきました。
 当方所有の『山のABC』は並版ですから、残念ですがついていません。
 いずれ特装版を見る機会があったら、確認したいと思います。
 貴重な情報ありがとうございました。
 
 

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2017年10月 3日 (火)

スウェーデンカラーの シャープペンシル

 青と黄色のプレスマンを見かけたので買ってしまった。
 
 
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   替え芯:初期は「速記用鉛芯12本」 後に「ロング芯10本」と変化
 
 
 プレスマンの命名は、速記に使うため折れにくい 0.9ミリ芯を採用した、とプラチナの広告文に書いてあったように記憶している。
 軸の色は発売当初から 黒だったが、近頃は色のバリエーションが増えて他に白、赤、緑もあり、そしてロゴも少し変わったしクリップもついた。
 
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 ”プラチナ”に、”ぺんてる”のクリップ。
 初期にはついていなかったのか、失くしたので”ぺんてる”をつけたのか記憶は・・・。
 
 行動中の登山記録は、会社の手帳に手帳付属の操出式シャープペンシルで書いていたが、長さが10センチくらいしかなく短くて落としやすかった。
 その後、やや縦長のスタイリッシュなスケジュール帳にモデルチェンジしたのを機に、筆記具もプレスマンに替えたのだ。そして、脱落防止に”ぺんてる”のクリップをつけたというわけだ。
 
 友人は、落とした時のリスクを考えると鉛筆が一番だ、とちびた鉛筆党を貫いている。
 
 
 
 
 

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2017年9月21日 (木)

1年後の SAAB 99

2017.10.01 02 加筆

 
 先日(9月17日-18日)、第21回目の SAABDAY が開催された。
 台風18号の上陸と重なり、Vintage SAAB は Early 99 1台のみと寂しかった。
 それだけに、この個体の状態の良さが証明された。
 
S99
 
 この Early 99 は、いわゆる断捨離として昨年8月に中部地区の仲間へ譲ったので、1年ぶりの再会だ。
 
Ssaab
Ssaab2
 その間に、シートを張替え、ボディも再塗装して見違えるようになり、大切に扱われていることが分ったので、送り出した当方もうれしい限りである。
 
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 消耗部品は20年分くらいと、今では入手困難なバンパー、グリル、ライト、ミラーなどなどのN.O.S.品多数を載せていったので、これからも軽快な排気音が期待できる。
 
 
 
 

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2017年9月18日 (月)

ガラス窓の 接着剤

 10年くらい前のこと、突然ジャロジー窓の一本のガラスが割れてしまった。
 
 修復は、瞬間接着剤やエポキシ系接着剤などいろいろ試したが、厚さ6mm幅130mm、長さ500mmほどの金網入りの接合はうまくいかなかった。
 ガラスの破断面が平滑なことも、接着条件を悪くしていたと思う。
 
 先日、UVライトを当てて硬化する「ボンディック」という接着剤を知った。
 
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 割れたガラスを机に平らに置き、黒い軸の方から接着液を接着面へ流し込む。
 オレンジ側のUVライトを4秒間。心配なので10秒くらい照射して接着液を硬化させる。
 すると、あれほど苦労していたガラスの接着が易々とできてしまった。
 
 接着後の強度がどれほどかわからないが、ジャロジー窓は毎日紫外線に当たるので日々強くなるはずだ。
 
 
 
 
 

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2017年9月 3日 (日)

キリンの 缶コーヒー 「FIRE (ファイアー)」

 昨年10月に缶コーヒーが甘すぎると嘆いたが、今度のキリンアイスコーヒーは合格圏だ。
 
 その日の体調にも左右されるが、という条件付き。
 
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2017年8月19日 (土)

吉田博の 生誕140年展

2017.10.01 02 加筆

 
 吉田博展が損保ジャパン日本興亜美術館(東京・新宿)で、 8月27日(日)まで開かれている。
 
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       「生誕140年 吉田博展」図録 、 ポスター
 
 
 
 山登りを始めて数年たった1976年、銀座6丁目のリッカー美術館で「生誕百年記念 吉田博版画展」があった。
 山登りそのものが大変だった大正時代に、山中に何泊もして写生する気力に圧倒され、岩小屋での様子や幕営風景を描いた視点に新鮮さを感じた。
 
 なかでも「中房川奔流」「渓流」の水の表現に感動して、悪天候で転進した朝日連峰の中で似たような渓相の流れに出会い、スケッチブックに収めたことがあった。
 
 
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       上 : 「生誕百年記念 吉田博版画展」図録 1976年9月
 
 
 
 イヴォン・シュイナードがベンチュラにパタゴニアの店注)を開いて20年を記念してなのか、1991年版カタログの表紙には吉田博の「エル キャピタン」を採用した。
 節目の年に、写真ではなくヨセミテの版画で歴史的出発点を暗示したパタゴニア社のセンスに感心した。
 
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   左 : 今回の図録   右 : patagonia 1991 のカタログ
 
  図は「エル キャピタン」大正14年
  アメリカ・ヨセミテ渓谷にある花崗岩の一枚岩の名 高さ約 2800 ft
  高度感と傾斜が分かるこの構図を選んだ山を知る吉田博 
  左下のセコイアの木から直上するのが、1970年初登攀「曙光の壁」ルート 
 
 
 このカタログは原画の7割位の大きさがあり、再生紙の質感とも相まっていい雰囲気を出している。
 
 
 40年の間に、リッカー美術館は銀座から姿を消した。
 今年に入って、ソニービルの取り壊しが始まった。
 
 
 
   (注) 1971年に、前身の シュイナード イクイップメント社が
      開いた直営店。
 
 
 
    2017.9.27-28 エルキャピタンで大規模な崩落があった。
 
 
 

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2017年8月15日 (火)

ロンジンの 腕時計

 この時計は、商業ビル1階の小さな時計屋のショーケースに陳列してあった。
 一目見て、白い文字盤に長体のローマ数字、細い針、薄いケース、この簡素さがアイビースタイルに合っている、と思った。
 
 上の階にいつも立ち寄る本屋があったので、時々ショーケースを覗いた。そのたびに今日も売れていなかった、という不思議な安堵感が生まれてきた。
 始めて見た時から 2、3年たったころに悩ましい思いを解決した。1970年代なかばだったと記憶している。
 
 竹斑という上質なワニ革をベルトに使っていることや、ロンジンという会社について時計屋の親父さんから説明されたことを覚えている。
 傷んでしまったベルトは二度取り換えたが、尾錠はオリジナルを使っている。
 
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            薄さ 6.3mm  引き算の美
 
 
 薄さを競っていたあの頃が機械式時計のピークで、やがて時代はクオーツ式になってロンジンの凋落も始まった。
 
 商業ビルも時計屋さんも、今はない。
 
 
 
 あるクラシックカーフェスティバルの会場で、その時計は〇〇かと聞かれて驚いた。生憎メーカーは違っていたが、歩いている人の腕時計を見極める趣味人がいたことがうれしかった。
 
 
 
 
 

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2017年8月 5日 (土)

ロンジンの 航空時計

2017.08.15 02 加筆

 

 1930年代ウイームスモデルの復刻版。
 
 復刻といっても文字盤のデザインを復刻したもので、自動巻きや日付機能は現代の使用状況に合わせたのだろう。
 
 この後に、リンドバークモデルも復刻発売になったと記憶している。
 ウイームスはリンドバークの航法の師匠にあたるらしい。
 
 
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     後方 : ローマ数字も美しい機械式ロンジン  1970年頃製 
     手前 : 中三針の復刻版ウイームスモデル
 
 何年前だったか、ある雑誌に購買欲を刺激するように「復刻版・世界限定3000本」と書かれた広告が目に入った。
 アラビア数字と青焼きした針に塗られた蓄光塗料が、航空時計を意識させた。また、仰々しくないデザインと茄子色の針から精密さとレトロな味わいを感じて、3000人の一人になった。
 裏ブタには製造番号が No.3**/3000 と刻んである。
 
 この時計の針の色から、父親がプレス用精密金型を作っていた姿を思い出す。
 鋼材のブロックを油焼き入れすると、きれいな茄子色に変色する。それへハイトゲージを使ってケガキ線を入れる作業だ。
 グラインダーや金ノコであらまし切り取り、その後は玉の汗を流しながらひたすらヤスリをかけて、複雑な打ち抜きや曲げ、絞り加工の雄型・雌型を削り出してゆく。
 従って、私の中ではアナログ計器の針の色は、黒色より茄子色のほうを上位としている。  
 
 
 
 父親から昭和16年前後、当時では珍しい中三針の腕時計をしていたと聞いたことがあった。戦前の話だから、このウイームスモデルのような気がするがどうだろう。
 
 
 
 
 
 

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