2020年6月15日 (月)

アウトドア用の Dwyer風速計

 アウトドアで使うことを目的とした風速計である。アメリカはミシガンの産。

 輸入販売元はエイアンドエフ。昔っから面白いものを仕入れていた。

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 透明プラスチック製で、尻すぼみの短冊形。
 高さ170mm 幅42mm~30mm 厚さ17mm~13mm 軽さ43g

 取扱説明書によると、グライダーパイロット、ヨットマン、フイッシャーマン、ウインドサーファー、パラグライダー、ハンググライダーなどすべてのアウトドアスポーツマン向けと書いてある。

 ケースの中央に、パイプがあり中にスチロールボールが入っている。外側ケースの下部に2個の穴が開いていて、そこから入った風の力でパイプ内のボールを押し上げる仕組みだ。軽量小型で簡単な構造だが、形状寸法からそれは深い研究と実験から生まれたと想像できる。

 中央のパイプ内を上下するスチロールボールの動きが悪くなった場合の清掃用にモールが3本と、ハイレンジ測定の赤いパイプのごみが詰まった時の清掃用ナイロンラインが2本メンテナンス用に添付してあるところにメーカーの良心を感じる。

 4-50年も前の商品だからメーカーの消息は分からない。

 

 風の吹いてくる方へ、こんなふうに持って。

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 撮影した瞬間の風速は、左側のロウレンジで風速は4m/sであった。スチロールボールは上がったり下がったり、せわしなく動いたと思うと下へストンと落ちる。強くなったり弱くなったり、風はきまま一定ではない。

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 中央上部の赤いパイプを塞いで右側のハイレンジ目盛りを読むと5.4m/s。この状態でパイプから指を外すとロウレンジでは4.5m/sを振り切っているから、測定精度はそこそこあると考えてよい。
 ま、風速が分かったとして、山ヤは体験と体感と天気図と観天望気で行動を判断するから、山道具屋では売れなかったかもしれない。そこらへん分かっていてメーカーは、取扱説明書にマウンテニヤリングとかクライミングと入れなかったのだろう。

 

 

 吹き抜ける強風で有名な那須岳の茶屋跡を三斗小屋温泉へ、何とか超えた時の風速は何m/sだったのだろうか。まあ、この風速計を持っていたとしても、測定する余裕はなかったろう。
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 これを山へ持ち出して、天気図へ現地の風速を書いて遊ぼうと思っているうちに時が過ぎてしまった。したがって、この風速計はまだ一度も山の風を吸っていない。

 

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       かぜとなりたや 

       はつなつのかぜとなりたや 

       かのひとのまえにはだかり 

       かのひとのうしろよりふく 

       はつなつのはつなつの 

       かぜとなりたや

           川上澄夫(1895-1972)

 

 

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2020年5月17日 (日)

コパルの パタパタ時計

 我が家では、2台のパタパタ時計が実働中である。

 

 1台は100V電源の緑。交流の周波数を変換してメカニカルな時を刻む。夜中でも文字盤が視認できるように、オレンジ色の豆球が下辺で常に点灯している。

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 もう一つは、単1乾電池駆動の赤だ。こちらはクオーツ式の時計。    

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 どちらも、はるか昔からパタ、パタとほぼ正確な時刻を表示している。 

 この2台、いずれも製造はコパルだ。コパルと言えば、フイルムカメラの全盛時にはシャッターの製造で大忙しだったのではないだろうか。時代的にはこの緑と赤の時計も、その頃の製品である。

 はたして、液晶表示はここまで長い年月働けるのだろうか。

 

 パタパタの最大級の製品は、空港の行き先表示装置だろう。一斉に切り替わるときのザッザザー パラ パラという音は爽快で壮観な眺めだった。空港や駅で活躍した行き先表示のパタパタは、大勢の人の目に触れるアナログ式大型精密機械の最後の製品だったかもしれない。

 

 

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2020年4月29日 (水)

「のりたま」が 60周年

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 テレビで、丸美屋のふりかけ「のりたま」が発売60周年を知り、数10年ぶりに買い求め味わいながら記憶をたどってみた。

 子供のころ「のりたま」に入っていたエイトマンシールを集めるため、ご飯に山ほど振りかけてかけてずいぶんと買い、ノートや机、電気スタンドなどに貼って遊んだ。

 お菓子の明治マーブルチョコレートには、アトムシールが入っていてこちらも集めていた。

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 「エイトマン」が新鮮だったのは少年が主人公の「鉄腕アトム」や「鉄人28号」と違って、主役が8等身の青年だったことにある。連載していた『少年マガジン』は隣の子が買って、我が家は『少年サンデー』を買い、お互いに貸したり借りたりしていた。

 それまでの漫画家は『少年』『冒険王』などの月刊誌や貸本などが活躍の場だったが、マンガ週刊誌時代が始まって急速に活躍の場が広がった。そのため、人気が出ると納期的にもアシスタントが必要になり所帯が大きくなっていった。

 

 「エイトマン」を描いた漫画家、テーマソングを歌った歌手がそれぞれ事件を起こしたため、「エイトマン」の再放送はなかったと記憶している。しかし、テーマソングは毎週テレビの前で一緒に歌っていたから今でも歌えるし、あの歌手の力強い歌声を何となく思い出すこともできる。

 ちょうど今[2020.04.29]、アサヒビール「ほろよい」のテレビCMで使われている BGM が、「エイトマン」というのも不思議なめぐりあわせだ。

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2020年4月 1日 (水)

登山用ヘッドランプの ペツル と ワンダー

 ペツルのヘッドランプ TIKKa Plus 2 。10年ほど前のフランス製。

 購入の動機は、白色と赤色の点滅機能。白色最大光量で点滅した光は1000メートル先から視認できる、と確か書いてあった。この点滅が山登りでの救難信号はもちろん、 当時所有していた SAAB 99 の故障時でも使えると考えたのだ。ただ、最近の( 2019年)カタログを見ると、現行品では白色点滅機能が削除されていた。

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 2011年の「プレイ・フォー・みちのく(復興応援ラン in 岩手)」へ SAAB 99 を駆って初参加した折り、TIKKa Plus 2 は望んだ通りの性能を発揮した。

 それは、明け方の東北自動車道を軽快に走り、岩手県へ入ってすぐの一関トンネル(長さ1000m)で起きた。追い越し車線のままトンネル突入と同時に、前照灯のシーソースイッチを押し込んだ。スッとGが抜けた。メーターの針はすべて「0」に落ちた。トライアンフ1.7リッターはアクセルペダルに応えない。主電源が死んだ。万事休す。ギヤをニュートラルに入れ、惰性で左へ寄りながら動きを止めたのは、出口まで4-50mを残した地点だった。走行車両が少なかったことは幸運だった。

 電源が落ちてハザードが使えないので、このペツルを白色点滅状態にして後続車へ注意喚起した。道路公団へ通報しているときに、通りかかった岩手県警のパトカーが後方で赤色灯を明滅させ、警察官1名がトンネルから押し出してくれた。警察官曰く「点滅光はよく見えた」とのこと。機種選択に間違いはなかった。が、妻と盛岡駅前で落ち合う約束の時間は、すでに絶望的になった。

 

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 この後、懇親会場の雫石プリンスホテルへ到着するまでに、さらに第2幕、第3幕のトラブルがあって主催者に面倒をおかけしたが、冗長になるので詳細は割愛する。

 

 

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 はるか昔に、おフランスからやってきた「ワンダー」。オレンジ色のは、同時代のナショナル製ヘッドランプ。

 ワンダーが社名なのか商品名なのか知る由もないが、渡来した当時はヘッドランプとハンドランプの2WAY切り替え方式が評判になり、買い換えた人が多かったように記憶している。

 時代感満載の金属ケース。ヘッドランプ側のリード線コネクタを本体に差し込むと、ヘッドランプが点灯しハンドランプ側は消灯する簡潔な仕組み。

 撚線を使った半田付け配線ではなく、厚さ0.5mmの真鍮板を切り抜いて折り曲げただけの部品構成なので、断線障害とは無縁のヘビーデューティーな回路設計。

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 専用電池が入ったままだったが、液漏れすもせず真鍮の端子に少し錆が見える程度だ。右側面にスライドスイッチ。

 豆電球は玉切れが多かったので、必ず予備球を入れていた。

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 紙でくるまれた電池にもフランス製と印刷してある。

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 絶縁していたので電圧は4.21Vあったが、電球までの接触抵抗が大きすぎるのか点灯しなかった。

 当時、専用電池は登山用品店にしか置いていなかったので、入手しやすい単3電池を使える電池ホルダーがすぐに出回った。

 現在販売している単3電池3本用電池ホルダーの寸法からすると、少し加工すれば実装可能のようだ。その時には豆電球もLED球に変更して明るくしたいものである。

    

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 写真は50年ほど前の、国産電子計算機のコンソールパネルに使われていた発光ダイオード。輝度のバラツキが多かった。

 

 

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2020年3月15日 (日)

ドイターの ハイキングバッグ

 ドイターの2気室?タイプのバック。

 マチが大きくとってあり荷物がたっぷり入る。ショルダーベルトを3か所のD環に掛け替えると背負えるようになっているから「ハイキングバック」と名付けたのだろう。軍隊の雑嚢がモデルだと思う。

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 町歩きを考えての買い物だったが、他のカバンもあってなかなか出番がなく押し入れの中でいたずらに歳月を重ねてしまった。取り出してみるとウレタンコーティングは、日焼けした後の皮膚のようにいたるところがはがれていた。

 重曹水ですっかり洗浄するときれいになったが、ナイロン一重の生地はヘナヘナになってしまい防水性は無くなった。

 

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 陽気が良くなったので・・・。

 

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 但し、詰め込むと腰の抜けた生地は扱いにくい。内面にウレタンを塗布できると生地がしっかりしてよいのだが。

 

 

 

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2020年2月29日 (土)

SAAB 9-3 用の オイルキャップ

 SAAB 9-3 用の GenuineSaab 製オイルキャップ。

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 アルミブロックを機械加工して仕上げた金属特有の重厚さと切削痕、微妙な曲面が良い。12年ほど前に、今は故人となったクラブのM氏を煩わせて取り寄せてもらったのだ。

 このメーカーはアルミ挽き出し工作を得意としているのだろうか、Webサイトを見るとそのようなオリジナル商品がいろいろある。オイルキャップの図柄はグリフィンと飛行機マークの2種類載っているが、製造工数を削減したのか現在のモノには文字が入っていない。

 

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 これが純正のプラスチックキャップ。指をかける部分が斜めになっているのはナゼか、考えてみよう。

 

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 こちらがアルミキャップ。回しにくいが、これよりも分厚いⅤ6用を取り付けたところを想像すると、存在が強くなりすぎてしまうから、そこは使用頻度とデザイン優先で涙を呑もう。

 欲を言えば、ヘッドブロックからあと5mm浮かせると、視覚的にも作業性の面でもよくなったと思う。

 

 商品は素材にグリフィンを線刻しただけなので、王冠に金、顔に赤、文字は紺のプラカラーを差して SAAB 感を出してみた。

 年に数回ではあるが、ボンネットを開けオイルキャップを目にするたびにM氏を思い出す。

 氏「 9-3 のライトスイッチ、c900 と点灯方向が逆だよね」

 私「 ISO かね?」

 

 

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2020年2月15日 (土)

SAAB 99 の 揃い踏み

02版 2020.4.12 C900 turbo 画像追加

 昨年11月に開催された 23th SAAB DAY で、発売当時からわが国で実働する貴重な SAAB 99 が3台そろった。

 大変珍しいことなので SAAB 贔屓、中でも SAAB 99 を特段に愛する1人として記しておく。

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 まず写真左、シルバーミンクグレイ色は、1971年製 99 4Dr 1.7リッター トライアンフ社製エンジンを搭載した 99 初期の貴重なモデルである。サーブミュージアムにこれと同型同色が展示してある。2Drが多い中、4Drのオリジナルを保った世界的にもまれな1台だ。このヨーロッパ仕様の来歴は、過去の当ブログに何度か記載している。また、数年前にはモータージャーナリストの小川フミオ氏もブログで紹介している。

 

 中央は、1973年製 99L 4Dr 2リッターキャブレター仕様。その4-5年まえに SAAB と合併した SCANIA の技術陣が協力したのであろうか、上記のトライアンフ製を手本に作り上げた SAAB 自社製エンジンを積んだ最初のモデルである。西武自動車販売が扱ったもので、 99 の歴史から見ると貴重な1台で、オリジナルの内装は非常に良い状態にある。ボディーは2色に塗り分けているが、製造銘板の色番号から判断すると元は単色の赤(トーリアドールレッド)のようだ。 900 turbo  の1983年ポスターに2トーン塗装があるので、その頃に塗り分けたと考える。

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               1983年 SAAB 900 turbo 

 

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 西武自動車販売(株)1975年の雑誌広告、矩形ライトがヨーロッパ仕様。

 

 右端は、1978年製の 99GLE 5Dr コンビクーペ 米国では「ワゴンバック」と呼称したようだ。インジェクション仕様で、色はメタリックのカーディナルレッド。カーディナルは絵具色にもある一般的な名称だが、塗装色の命名にも自動車メーカーのセンスが如実に現れるので、担当は頭を悩ますところだろう。 5Dr の Cピラーに小さな窓を作り、これを SAAB は「オペラウインドウ」と呼んだ。状態の良いこの個体も西武自動車販売の正規輸入車。

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 窓越しにヘッドレスト一体型の座席が見える。一瞬、カタパルトチェアにダブったのはクレイジーゆえの幻覚か。

 この車もオリジナル度が高い。オーナーの趣味で標準の鉄製ホイールから当時の純正品「シルバースター」(中央カバーは外してあるが)に履き替えていることと、ハンドルをナルディに替えたくらいだ。「インカ」や「サッカーボール」といった人気のアルミホイールではなく「シルバースター」を選んだあたりに、控えめなオーナーの人柄とこだわりが伝わってくる。同時代のモノなので、ボディとホイールのバランスが整っている。美しい。

 屋根から後端へ流れるシルエットは、SAAB 史上最高傑作(個人の感想)の C900 Turbo 16S Aero に引き継がれた。実に美しい。

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 99 の魅力の一つとしてボンネットの造形を上げることができる。タイヤハウスをイメージしたふくらみから一旦低くなり、中央部にかけて徐々に盛り上がる。その後ろからエアデフレクター( たった5センチの幅だが、上面がわずかに反りあがり整流効果を上げていることから、 SAAB はエアインテークとは言わない)へ向かって、空気の流れを誘い込むようにほぼ平滑にデザインしている。強度と空力を作りこんだ何とも言えない曲線美だ。昨年9月に亡くなった曲線の魔術師ルイジ・コラーニはこれをどう見たのだろう。

 99がサイドインパクトバーを73年モデルから世界に先駆けて組み込んだことは、あまり知られていない。馬力や0-4加速など諸元表の数値で優劣を語っていたわが国で、サイドインパクトバーが話題に上がり始めたのは、それから10数年ほど後のことと記憶している。

 

 世界を見ても 、SAAB 99 は 96 シリーズと比較して残存数が極めて少ないから、この3台がオーナーの努力で末永く乗り続けられることを願いたい。

 

 

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2020年1月25日 (土)

榮太樓飴と マキナ67

 榮太樓總本舗が創業200周年を記念して、2018年に発売した榮太樓飴のポケット缶11個の詰め合わせ。遅ればせながらお正月らしく?飴の話題。

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 ポケット缶は50g入りなので、従来の缶(160g、80g)よりずいぶん小さい。以前は特別柄も時々売り出していた。写真の中で一番古いと思われるのは「江戸千代紙」の紅茶飴、次が「写楽」の黒飴、抹茶飴、紅茶飴、ことぶき飴の順だ。缶の裏底の注意表記が、時代が下がるごとに多くなっていることからの推測である。また、会社名が栄太郎から榮太樓に変化していることにも気がつく。

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 これを見て、詳しい人なら「ことぶき飴」の蓋の形に違和感を覚えたはず。

 もともとは他の蓋のように中央部が低いのだが、ヘラ絞りの方法で凸状に加工したのだ。理由は、中判カメラ「プラウベル マキナ67 」のレンズフードとして使うためだった。山へ持ち出すとなると、純正のレンズカバーを無くしかねないので、内寸の同じ「ことぶき飴」で代用品を作ることにしたというわけである。缶の蓋なら山中で落としたとしても後悔がない。

 

 名機 マキナ67 を私が手に入れた経緯は、小さな出版社に勤務する山の会のH先輩から、マキナサービスに新品が1台眠っていると聞いたからである。

 私たちと同じ会に所属するU氏は、マキナ67 の設計者である。そのU氏所有のマキナのメンテナンスのためマキナサービスへ行ったところ、大切に仕舞っていた新品を見せてくれたという。その話を、マキナ67 のヘビーユーザーで昵懇のH先輩へ伝えたというわけだ。

 気軽な見学のつもりでマキナサービスを訪ねると、くだんの マキナ67 をガラスケースから出しながら、U氏と同じ会の人なら当時の値札で譲ると言う。U氏のお口添えがあったのかマキナサービス氏の心中は分からなかったが、その場で頂く流れになった。購入を知ったU氏は、マキナ67 を製品化するまでの資料を送って下さった。10数年前のことである。

 それからしばらくして、マキナサービスは仕事を辞めたようだった。

 撮影してみると、ポジには思い描いた通りの発色と陰影が現れていていて、嬉しい反面恐ろしくなった。このカメラは私ごとき素人が持つものではなく、やはり写真家、写真家を目指す人が持つにふさわしいと思った。2年後に銀座のカメラ店へ持ってゆくと、店はマキナサービスが保管・管理していた極上品として買い取った。

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 ブローニーのフイルムは残った。

 

 U氏は、世界で初めて自動焦点調節機構を搭載した「ジャスピンコニカ」の設計で名高い。当時の『日経ビジネス』誌に掲載したジャスピンコニカの開発記事はU氏を取材したS記者の筆によるもので、S記者もまた同じ山の会の所属であったことは奇縁といってもよい。

 

 

※マキナ67にリンクを張りませんが「プラウベルマキナ」で検索すると、詳しく書かれた記事が見つかります。

 

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2020年1月 1日 (水)

本年も どうぞよろしくお願いいたします

 本年も どうぞよろしくお願いいたします。

                庚子正月

   

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2019年12月31日 (火)

簾(すだれ)に 柿渋を塗る

 年の瀬。簾のメンテナンスをした。

 今まで買っていた柿渋は、四角い容器に入ったターナー製だったが、ホームセンターの経営グループが変わってシマモトというメーカーに品替えになっていた。

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 半年の間、吊るしっぱなしにしていると色がさめてしまうので、こうして柿渋を塗って来期に備えておく。

 手間はかかるが、柿渋を塗ることによって簾の素材や糸に耐候性ができて長持ちするし、古来からの知恵は環境にも負担をかけない。そんな訳で、この簾は10年以上使っている。

 

 柿渋を初めて知ったのは小学5年生頃だった。家紋帳の端面に茶色い液体が塗ってあったので、父に聞くと柿渋というもので、紙を丈夫にするためだと言った。

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 この『伊呂波引紋帳』の奥付には、竹内庄之助編輯 大阪 服部文責堂発行 昭和8年7月20日改訂発行 とある。

 昭和8年といえば、明治と元号が変わるまで仙台藩の御用錺師を累代賜っていた店に、父が弟子入りして数年がたったころだ。

 世の中は満州国が建国され、岸信介の立案した満州重工業開発の大きなうねりと活気が国中にあふれていた。その熱気が、親方と二人で神社仏閣の錺金具を作っていた若者の心を揺り動かしたのだろう。満州へ渡って大きな夢を実現しようという気持ちが高まり、仙台を飛び出したと推測する。いづれ跡継ぎに、と強く願っていたという親方の落胆は大きかったと思う。

 昭和20年7月に、仙台大空襲があって市の中心分が焼失した。たまたま帰省していた父は、真夜中の空襲警報に年老いた両親と甥や姪たちを木町から北山の覚範寺へ避難させ、鐘楼の脇から闇の中に炎が広がる市街を、境内へ退避してきた多くの人々とともに見入ったという。

 父から、親方の消息は聞いていない。

 

 

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2019年12月20日 (金)

マルキルの ストーミー と キャンピング ガスコンロ

 ガスストーブ(ガスコンロ)が普及し始めてから登場したストーミーは、様々なストーブメーカーの専用モデルを用意した。

 ストーミーのターゲットはクライマーで、なおかつ岸壁でビバークするような強者向けなので数は限られる。値段もあまり高くできないし、多品種少量生産では採算が取れていたのか余計な心配をしたが、佐貫亦男氏の著作を読むとそのあたりは気にしないドイツ的国民性があるようだ。

 

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 蓋の浅いほうが〇〇用のストーミー、右はキャンピングガスのポケットコンロ用。対応するストーブの大きさによって、蓋の深さ、風防などが違う。赤い金属のメカニカルなバンドで上下をコッツンと留める。この手ごたえも欲しくなったポイントの一つ。

 左の〇〇用は山道具屋の店主が流しのごみ入れに使っていたものを貰ったので、フィットするガスストーブメーカーを聞きもらしたのだ。
 この山道具屋も平成の中頃には店を畳み、ストーミーが最後の買い物になった。

 

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 蓋を開けると風防とポケットコンロがのぞく。

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 風防のピンをコンロ本体の五徳穴へ合わせ、内側からバーナーをねじ込んで本体を固定する。

 

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 岸壁に打ったハーケンに吊り下げて使う。風による影響が少なく燃効率も良いと思える。条件を変えて比較したわけではないので、たぶんそうに違いないと思う。

 この写真を見て年老いた山ヤは、固形燃料を使うジグのビバーククッカーを連想したと思う。冬山用のビバーククッカーは、雪面へ突き刺したピッケルへ引っ掛けて使う前提なので、ストーミーと同じく縦長で自立は不安定である。

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 〇〇用と ポケットコンロ用は、風防底面の形状が違う。

 

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 ポケットコンロに比べ、 S-200はバーナーの首が長い。新選組の「だんだら羽織」に似た意匠のボンベは、寒冷地用だ。


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 S-200の取扱説明書 11か国語版と日本語版が添付されていた。

 

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 私は五徳をスキーバンドでまとめて、雑誌の付録のキャンバス袋へマッチと共に納めてザックへ入れている。こういう使い方なので、取説にある汁受け兼風防と砲弾型ケースはどこかへ行ってしまった。一度も使っていない折りたたみ式のスタンドだけが何故か残っている。

 灯油やガソリン、アルコールなどの液体燃料を使ったストーブに対して、1970年代ころに登場したこのキャンピングガスは登山用ストーブとして画期的な商品だった。初めて見たのは会の秋山山行で、トーミの頭で弁当を使ったときに、先輩がやおら砲弾型の青いプラスチックケースからこのS-200を取り出して湯を沸かした。プレヒートなしで使える簡便な操作性に物欲がわき、スベア121を使っていた私は帰宅後すぐに登山用品店へ走ったのだった。

 

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 さて、ストーミーは家で何度か練習してみたが、実戦投入することなく終わった。片手でつかめず、ゴロゴロしてパッキングしにくいし、サンカ(山窩 )のように自在鉤を持ち歩いていれば別だが、吊り下げないと不安定で使えない登攀者専用のモノだ。

 

 8回にわたったマルキル銘々伝は、これでおしまい。

  

 

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2019年12月 8日 (日)

水仕事用の 手袋テムレス

 穴が開いたので、新しいテムレスを購入した・・・が。

 テムレス=手蒸れず?林修の言葉検定(テレビ朝日:グッドモーニング)の緑のボケや、薬のネーミング的でいいと思う。

 雪山をやっている人にはずいぶん前から知られている商品で、保温・防水はもとより低温下でも柔軟性が落ちない優れた素材と、安さが広まっている理由だ。近頃は、アウトドア用にカフを付けた新商品も売り出した。カフがあると雪洞堀などで雪が手袋に入りにくいというが、従来のモノでもアウターの袖をかぶせれば雪の侵入をある程度防げるから、金額の差としてどう考えるかだ。

 庭の作業や、冬場の車のブレーキダスト洗いには暖かくて重宝している。反面、保温性が良すぎて夏場は汗をかいてしまう。

 作業中に空いた穴を、そのつどゴム系の接着剤で補修しながら使っていた。最近、ピンホール箇所が特定できない水の侵入が、親指・人差し指・中指と増えたたため購入に相成った。

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 ホームセンターの陳列棚にあったテムレスを「何かが違うな」と思いつつ買い、使っていたモノと比べると商品番号が違っていた。今まで使っていたモノは、裏にボアがライニングされている防寒用 No.282 で、買ってきたものは薄い裏地が付いているだけのモノ No.281 。何かが違うと感じたのは、その厚みだったのだ。

 

 もの作りの世界では、いつもと違うと感じたら立ち止まって「考える」ことを教わったが・・・

 

 ま、夏場の作業には手汗もそれほどかかずに済みそうだ。

 

 

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2019年11月30日 (土)

信州内藤流の 蕎麦打ち

 雑誌『サライ』12月号の特集「蕎麦は手打ちに極まる」で思い出したことが一つあった。

 昔々、都立立川高校近くに『吾平』という蕎麦屋があって、「信州内藤流 ●●●」と書いた時代劇で見る道場の看板のようなものを掲げていた。それを見て、蕎麦打ちにも流派があるのかと感心したことを思い出したのだ。

 『吾平』がいつからこの地で店をやっていたのか知る由もないが、モノレールの建設や区画整理で移転を余儀なくされたようだ。噂によると八王子の方で商いを続けていると聞いた。

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 上の蕎麦猪口2点は天下市で購入した最近のモノ、中央の印判は明治・大正期? 下の2点は江戸末期-明治だろうか、ちょっと古いもの。

 蕎麦猪口も収集の対象になっていて、専門の収集家も多い。我が家には写真のような下手モノしかないが、夏場は大いに活用して楽しんでいる。

 

 

 

 

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2019年11月17日 (日)

月刊誌『サライ』が 30周年という

 小学館発行の月刊誌『サライ』が、この秋に創刊30周年を迎えたという。

 以前はよく購入していたが、近頃は付録のカレンダーが欲しくて11月号のみ買っている。自分用には書き込みスペースがちょうどよいことと、図柄も好ましいものが選ばれていることが買い続けている理由である。

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 身近なアウトドアライフを編集方針にしたBE-PAL誌は1981年に創刊。それから8年後の1989年に大人の情報誌として『サライ』が誕生した。当初は中綴じで毎月第一・第三木曜日が発売日だった。

 2016年には BE-PAL誌が35周年を迎えているから、休刊・廃刊が相次ぐ出版界の中でも、共に検討している雑誌だ。これからも良い特集を組んでほしい。

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 山つながりで知りあった出版関係の知人からサライな生き方しているね、と言われたことがあった。深く訊ねなかったのでその真意は不明だ。 

 

 

 付録の付いた雑誌が増えてきたのは、ネット情報との差別化なのだろうか。小学生の頃の子供向け雑誌は、十大付録など付録の数で他誌と競争していたことを思い出す。

 

 BE-PALの35周年

  http://bayanroujinn.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/be-pal-35-5179.html

 BE-PALの36周年付録

 http://bayanroujinn.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-b5a0.html

 

 

 

 

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2019年11月 3日 (日)

山の おしるこ

 近所の自販機にいつの間にか、おしるこが装填してあった。装填という言葉が妥当かどうか別として、自販機も冬の品揃えになったのだ。

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 東京都東村山市の遠藤製餡が作り、アサヒ飲料が販売するこの缶入りおしるこは後味がさっぱりしている。

 甘いものが好きな私は、冬の山歩きの休憩でおしるこを食べることがある。

 

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 缶入りは持って歩かないが、昔からある文明堂の「懐中しるこ」や森永の「おしるこ」のような手軽なモノを持参する。休憩時に飲み終えたカップは、昼に残しておいたパンで拭ってきれいにすれば無駄がない。

 禅宗の寺では食事を食べ終わった後の粥椀に、白湯を入れて沢庵などで洗って飲み干していた。使った応量器はそのまま布巾に包んで、次の食事までしまっておくから、よくぬぐっておかないといけない。

 このようなお寺の作法が広まったのだろうか、昔の家庭ではお茶で飯椀を洗ってそれを呑むという習慣が残っていた。今はどうだろう。

 

 

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2019年10月22日 (火)

マルキルと ユンガー

 ユンガーはマルキルとほぼ同じシルエットだが、マルキルの平面部を曲面にして違いを出している。

 日本では、マルキルやグラン テトラが退場したあとに出てきたブランドと記憶しているがどうだろう。外国の登山用品メーカーの規模は分からないが、離合集散とインポーターの関係やらで登山用品店の棚から早々に姿を消すブランドも多かった。したがって、当時はマルキルの工場を居抜きしたメーカーかと邪推した。

 

 海に流れ出たマイクロプラスチックが、生態系を壊しているというニュースが増えたし、地上でも相当量が飛散していると思う。身の回りでも発泡スチロールの箱、荷造り紐、洗濯バサミ、網戸の網、植木鉢などプラスチック製品が、太陽光によって劣化して粉塵となって風に舞っている。私はプラスチック製品が劣化を始める前にリサイクルや焼却へ回し、天然素材の製品があればそれを使うよう努めている。

 生物の生存条件を重視したものつくりを、製造メーカーも化学者もさらに生分解性プラスチック研究を急いでほしいのと、これらを無害化するバクテリアが存在することを願うばかりだ。

 ナショナルジオグラフィックに、プラスチックを食べる酵素が発見されたという記事があったので参考に。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/042400186/

 

 環境問題の流れから、再び金属製水筒が見直される日は近いだろう。

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      ユンガー0.5l   マルキル0.75l

 

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 平滑塗装より手間がかかりそうな、この凹凸のある表情が気に入って購入したのだ。この塗装方法は、ハンマートーンとも違うようだが何という名称だろうか。

 

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     ちりめん塗装あるいはチジミ塗装

 ちりめん塗装とかハンマートーンは、昔の精密光学器械や測定機器の塗装によく見られていて精密感・高級感・重厚感がある。というのも、子供のころ家にはちりめん塗装が施された映写機があって、それが小さな心に精密感を印象付けたのかもしれない。

 

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 明解ではないが、ハンマートーンの施された天秤

 

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 ミツトヨ製マイクロメータ 間違いなくハンマートーン。

 

 見た目にややチープ感があったユンガーの小型ガソリンストーブは、たしか緑色のハンマートーン塗装が施されていた覚えがある。このストーブもまた、第1ロットの入荷をもって商品棚から姿を消したのではないだろうか。

 

 

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2019年10月 1日 (火)

マルキルと ジグ  副題:山で拾ったモノ

 ジグのアルミニュウムボトル。

 ジグは、今でもこのスタイルを守っている息の長い稀有なボトルメーカーである。

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 1970年当時は、スクリューキャップの高い密閉性から、白ガソリン用コンテナーとしての用途が多かった印象がある。『バックパッキング入門』(芦沢一洋著 昭和51年 山と渓谷社)でも燃料タンクとして紹介していた。

 写真左は前回紹介した注ぎ口の機構が特徴の、マルキルマチック 。対してジグボトルは給油の時は別のパイプ付きのキャップと交換する必要があって、面倒だなと思った記憶がある。パイプ付きキャップが無い場合は、数条のねじ山が流れを乱してしまうから漏斗(ファネル)を使いガソリンコンロの小さな給油口へ流し込むことになる。

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 ジグボトルのスクリューキャップには大きな穴があって、ここへカラビナを引っ掛けてギュッと締めこむと聞いた。 SIGG SWITZERLAND のエンボスが程よい深さで刻まれている。

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 底部にもロゴのエンボスがある。ということは、第1工程は500tクラスの深絞りだ。

 

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     ジグ、グラン テトラ、マルキル  

 

 ある年の4月。鳥海山か他の山域だったか失念したが、山スキーのビネッサ・シールを効かせた登高中にガスのかかった斜面でこれを拾った。そこは人が休んだ痕跡(バケツ)もなく、ツボ足ルートでもない雪面なので、ずっとそこにあったというより風で上の方から飛ばされてきたのだろう。

 キャップを開けると空っぽで無臭だったから、水筒として使っていたと思われる。外観のクスミ具合や凹みからベテランの所有と推測できるが、「上手の手から水が漏る」のたとえがあるように、休憩時の基本をおろそかにすると手袋の中からするりと逃げられてしまう。

 斜面を転がり落ちた水筒を見失い、持ち主は諦めて山を下りたのだろう。当日も、翌日も人に会うことはなかったので、こうして手元にある。

 

 

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2019年9月18日 (水)

マルキルの フュエル・コンテナ

 マルキルの 0.75 リットル入りフュエル・コンテナ(フュエル・ボトル)である。他に0.5リットルも売っていた。

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 購入の動機は、真っ赤なボディに白文字で印刷された細かなドイツ的注意書き?、GS安全マークとTÜVの認証マーク、そしてメカニカルな注油口に魅かれたのだ。

 ポリタンク時代には水と間違える事故があったものだが、ここまで色や注油口の違い、印刷文字があれば水と間違える御仁もおるまい。

 

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 ボトルを傾けてスプリングの上を押すとボトル内の弁が開き、写真では分かりにくいがその筒の左側の横向きの小さい穴からガソリンが出てくる仕掛けになっている。

 スプリングを押さない限り、横倒しになってもガソリンは漏れないGS認定の安全な仕組みだ。

 

 これを買った頃は、ホエーブス625にしてもオプチマス8Rにしても、タンクへ満たした分量で十分間に合う程度の山にしか行かなくなっていたし、主に軽量簡便なガスコンロを持ち歩くようになっていた。

 そんな状況なので予備タンクは無用だったが、先に述べたデザインとメカの他に、放出価格だったことが購入に踏み切った大きな理由である。

 

 JR各社は、2016年に可燃性液体の車内持ち込みを禁止した。

 

 

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2019年9月 1日 (日)

マルキルの バイク用水筒

 マルキルの最終型水筒とバイク用ストロータイプ水筒。

 1980年代後半だったか、マルキルは秀逸な8面体デザインを捨て円筒形へモデルチェンジした。それがあって自転車用品への展開だろうが、時代の流れかブランドは消えていった。内情は伝わってこないが、マルキル社にいろいろあったようだ。

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       赤い塗装の最終型0.75l と バイク用 0.6l

 水筒の容量が0.75リットル、0.6リットルと半端な数字に思えるが、これはシャンパンやワインの容器に関係があるらしい。標準的なワインボトルが0.75リットルなので、それを詰め替える水筒の容量も0.75リットルになったようだ。グラス1杯分少ないのが0.6リットルとのこと。

 

 MTBからクロスバイクに乗り換えた頃、ホルダーとセットになったこの水筒を山道具屋のバーゲン品の山から救出した。 

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 樹脂製の水筒ホルダーをダウンチューブへ固定。

 

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 C字型の腕で水筒の凹部分をカチッとホールドすると、これだけでも落ちる心配はない。さらにゴムベルトで留めるので、微塵のゆるみもなく安心感大。それゆえ走行中の操作には訓練が必要で、ツールドフランスに参戦しているわけでもないから、道路脇へ停めて取り扱うことになる。

 

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 メイド イン ジャーマニ。タイガー戦車のデザインをほうふつさせる直線使いの剛健なシルエット。 

 取り付けてから20年位になるが、普段から紫外線に気を使っているのでゴムベルトや樹脂の劣化は少ない。

 

 友人は泊り山行の時、ザックからおもむろにドイツワインを出すことが多かった。コルク栓を抜く儀式を楽しみたくて、重たい瓶のまま担ぎ上げていたのだろう。

 

 

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2019年8月14日 (水)

マルキルと グラン テトラ

 かつて山用水筒で人気を2分した、アルミ水筒界の竜虎。マルキルとグラン テトラ。

 ドイツ工業製品のマルキルは、強度と持ちやすさの8面体とアルミニュウムの素材光沢を特徴にした製品。それに対してグラン テトラは赤・黄・青・アルミとカラフルな表面塗装を施して芸術の国フランスをアッピールし、形もやわらかな角形と丸形をラインナップした。どちらも、ワイン産地ならではの、葡萄酒の質を変えない内側処理に工夫を凝らした。

 後年(1990年代?)グラン テトラは中央部をくぼませた形にモデルチェンジし、マルキルは円筒形+表面塗装に形を変えて市場に問うたが、ペットボトル入り飲料の台頭にその座を奪われていった。

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     1981年(昭和56年)のICI 石井スポーツのカタログから

 

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 そんな中で私が選んだグラン テトラは、黄色の角形。

 えっ、丸形じゃないかって?

 夏山のアプローチで冷たい水を飲むためには、凍らせて持って行ったものだ。ザックの中のトマトやキュウリが冷えて一石二鳥だった。

 理科で習ったとおり、凍らすと体積が増えて角形が丸く膨らんでしまう。で、普段は水を冷やすのに使っていたから、冷蔵庫の扉に入るように何度も修正を繰り返して凸凹になり、出し入れの時に扉の金属枠とこすれて傷だらけになったのだ。

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 右のグラン テトラは当初の原型を保っている。

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 塗装が剥げているのに紙のシールが残ってる フ・シ・ギ。

 はがして保存していたシールを再び貼ったのか・・・たぶんそんなことをしたのかもしれない。

 

 

 

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2019年8月 9日 (金)

マルキルと ビール缶

 前回のブログで触れたヨーロッパのビール缶。

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 底に商品表示ラベルが残っていて、輸入業者名(廣島)・原産国(ドイツ)・商品名(エンケルアルミプライヤー缶)・賞味期限(98 05 31)と印刷してあった。当時、図柄違いで数種類買ったが、リンドバーグのこれだけ残して処分してしまった。

 使い切りの500mlビール缶に、こんなに手間をかけた口栓をつけてよく採算がとれるものと思う。

 口栓はマルキルと同じサイズである。

 

 横になっている金色の水筒もマルキル。

 

 

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2019年8月 4日 (日)

マルキルの アルミとポリの水筒

 約1リットル容量のマルキル社製アルミニュウム水筒。持ちやすい8面体デザインと金属光沢がいい。内側はアルマイト加工のような特殊な処理法をうたっていた。

 一方の雄、フランスのグランテトラは内部処理を「エナメルグラステック」といったかな。

 

 友人は1.5リットルの、でかいマルキルを使っていた。

 光沢を見ていただけばお判りのように、現役である。パッキンも交換している。

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    ピンホールはアラルダイトで塞いだ  右上は、マルキル社の「ストーミー」  

 

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 口栓はヨーロッパの標準規格(単一メーカ?)なのか、ビールのアルミ容器やオリーブオイルのガラス容器など本体の形は違えども口栓は同じものが使われている。私は6-7年前に、オリーブオイル専門店でリペアパッキンを購入した。

 その点グランテトラのパッキンは自作するしかないが、周辺にひび割れがあったとしても、内圧が高くならない限り意外と漏れないものだ。

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 金具(針金)につけた紐は、このように巻き付けて使う。ザックの中で金具が引っかかって、不用意に中身がこぼれ出るのを防いでいるのだ。すっぽり入る袋があれば、温度管理の面からも良いだろう。女性会員の多くはキルト地で作っていた。

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 マルキルのポリエチレン製水筒。購入後数十年、いまだにこれを持っている人と遭遇していない。

 本来は首の赤いリングと一体の板状の腕が、キャップにつながってキャップが紛失しない構造だ。しかし、赤いリングの動きが渋く、どうしても付け根部分に力がかかってしまい写真のように折損する。日本だと初回品質確認時に改善指摘が入り、設計変更するところだ。

 商品価値がないということで、当時100円前後で購入したと記憶している。『遊歩大全』のコリン・フレッチャーはポリ容器の水筒を重量と耐衝撃性の面から推しているが、ポリ容器の弱点である「臭い」に私は勝てない。 

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     マルキル社のマークと、製造国表示 メイド イン ジャーマニ

 

 「マルキル・ストーミー」はいずれ紹介しよう。

 

 

 

 

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2019年7月 6日 (土)

ホーロー製の スプーンとバット

 引き続き琺瑯製品。

 

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 上は、新潟県燕市で琺瑯製品を長く作ってきた「ツバメ印」のコーヒーメジャースプーン 。約10g計れる。

 コーヒー通はしっかり計量して豆を挽いて抽出するようだが、当方は豆を電動ミルへ適当に入れ、その時の体調で量を加減するから、残念だがこのスプーンの出番はない。ただ、日本の琺瑯製品とツバメのワンポイントに魅かれて購入したのだ。

 

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 これは琺瑯びきのバット。 自分で写真を現像・定着した人にはおなじみの物。 当然ながらこの手の製品の多くはブランド表示がない。

 写真のバットは、勤務先で処分するというので、 SAAB 99 の機関部からにじみ出る油の受け皿として貰ってきたモノ。 

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 SAAB 99 を手放した今では工作台の下で埃をかぶっていて、せいぜい雨の日に玄関脇に置いて傘のしずくを受けるくらいしか出番がない。

 

     

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2019年6月28日 (金)

ホーロー製の マグカップ

 琺瑯製のマグカップ。琺瑯びきといったほうが良いのかな。

 山登りを始めた頃、ホーロー引きのコップを使っている先輩が数人がいて、それをまねて購入したと記憶している。

 先輩方のはこれより一回り小さいものだが、大は小を兼ねるの考えで大きいほうを買った。昼には粉末スープをこれに溶かし込んですすったし、雪渓の雪をすくって粉末ミルクを混ぜて食べたりもした。

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 琺瑯製品は製造に手間がかかるので少なくなったが、新潟県燕市のメーカー「ツバメ印」が頑張っているようだ。

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 2年位前にスターバックスで限定品の琺瑯製マグカップを見かけたが、一週間後には陳列棚から消えていた。色と形を思い出すと、ひょっとして「ツバメ印」へ製造委託したものかも。

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 丁寧に扱ったつもりでもやはり山の中、岩角にぶつけて何ケ所かホーローが剥がれてしまった。

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 その後、山仲間から益子焼のぐい飲み?湯呑?をプレゼントされたので、ホーローのマグカップの代わりに柳行李にこれをいれて歩くことになった。

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        梅雨時 水量の増えた越後の沢にて一服

 

 数年前には骨董好きの F 先輩から印判手のチョクをいただいたので、柳行李には単独行であっても益子とチョクの二つを入れている。

 このチョクは明治中期を下らないと見るがいかがだろう。印判のずれが大きくて製品としての評価は損なうが、これを市場に出した時代背景と捨てずに伝えてきた先人達のもったいない精神を買う。

       益子 143g   印判 124g   琺瑯 155g 

     Photo_20190627182102

 

 今年94歳になる M 先輩が、昔々の会報のコラムに記した「コップの話」を思い出した。

 戦前は、ポケットが3つ付いたリュックの真ん中にアルミのコップをつけたスタイルが典型的なハイカーで、山ヤは初心者やハイカーを揶揄して「コップさん」と呼び、「コップさんが通るから道を開けてやって」と言ったそうだ。

 

 私が小学校低学年の頃もリュックにアルミのコップをぶら下げ、肩から斜めに水筒を下げた格好で遠足に行った。

 このスタイルは陸軍の兵隊さんだな。

 兵隊さんの位で言うと三等兵だな。

 

 

  

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2019年6月20日 (木)

カタバミの 花

 竹を植えている片隅に、カタバミの花が咲いた。

     

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 調べるとムラサキカタバミという名前で、ウキペディアに聞くと「要注意外来生物」で駆除の対象であった。

 従って、写真撮影後に石を取り除け、根元の下の方から切り取った。深く根を掘って土ごと取らないと駆除にはならないようだが、竹と笹の根に入り込んでいるので、とりあえず発芽を抑えるように石灰を大量にまいた。

 脇には、これより小さな葉と黄色い花のカタバミもある。昔の人は、この小さな雑草を図案化して片喰紋を作り上げた。

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 ちなみに、祖母の生家は「剣片喰」紋。

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2019年5月19日 (日)

山田照明の Zライト

 山田照明といえば Zライト。

 Zライトと言えば、おわん型シェードが代表作で、初めて買ったZライトはそのタイプだった。

 ただし、白熱電球なので長時間使っていると、シェードに触れないほど熱くなる。そこで、シェードが二重構造で放熱効果も高そうだし、シルエットが優美な点も気に入って1年後に上位機種のこれを追加購入した。・・・空冷効果はさほどではなかった。

 

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     パタゴニアの旧版タグと、岩岳スキー場のシール

 

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     分割できる

    

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     内側のシェードを、縁の6ヶ所で支えている

 内側のシェードを外周へ巻き込みカシメ、外側との間に7-8ミリ前後のドラフト空間を確保するという大変手間のかかった構造。従って、ソケット部分と分割構成になっている。ちなみに、初期のおわん型もシェードは取り外し式だったと記憶している。

 工数・コストのかかるこのような製品は、平成の時代にカタログから姿を消している。

 

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   取り付けは付属のクランプか、別売のアルミダイキャスト製の金具(手前)を使う

 今使っている60W電球が切れたら、次はLED球を準備しているが・・・。

     

 

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2019年5月 2日 (木)

シェラカップと のようなもの

 シェラカップと、三菱自動車主催のスターキャンプ記念品。

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 「SIERRA CLUB © 」のエンボスがあるオリジナルのシェラカップ。

 ずいぶん昔になるが、友人たちとシェラネバダ山脈の山を登りに行った時に、UCLAの購買部で購入したもの。友人は土産として、これを5-6個買っていた。これぞステンレスといったマットな質感がいい。

 

 

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 「1994 STAR CAMP GROUNDS 」のエンボスがある方は参加記念にもらったもので、会場は磐梯山麓のスキー場。素材はこちらも18-8のステンレスだが、少し板厚が薄手で光沢もある。三菱パジェロの販売に勢いがあった時代だったと記憶している。

 この時もキャンプ道具は、イリジウムブルーの SAAB900i16op の屋根に取り付けたスーリー製キャリアに積んで参加した。

 

 

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 二つを重ね合わせると取っ手の長さに違いがあって、記念品のほうが少し長めに作られている。

 

 「SIERRA CLUB © 」は 山へ2-3回持って行ったことはあるが、私の山歩きには似合わない道具ということが分かった。

 直接火にかけられるが、湯を沸かすには小さすぎる。山行中に湯が必要になる場合には、小さなコッヘルを持つので出番がない。熱い物を飲むには縁が熱くなって飲みにくい。熱い飲み物が必要な山行には、アラジンを持ってゆくのでその蓋兼用のカップを使うから、出番がない。 雑誌ではシェラカップを使った料理などが紹介されているが、めんどくさがりの私には向いていない。

 今、2つのシェラカップは筆洗として活用している。

 

 

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2019年4月19日 (金)

プリムスとナショナルの 圧電式

 圧電式点火具というのか、ガスストーブ用着火用具。

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     4方向に楕円の穴を開け、点火効率を上げている

 青色の方は東京ガスから貰ったもの。白い引き金をいっぱいまで引くと10回くらい放電し、放すと同じ回数放電する。引いても放してもチリチリチリと放電するから、必ずガスに着火する優れモノだ。流石はナショナル製。

 

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       白い碍子の中央に出ている端子と、外側のアルミケース間で放電する

 一方のアルミ板をプレス加工したピストル型の点火器具は、名門 PRIMUS 。赤い引き金を握るとバチっと大きな音がして先端ノズルで1回放電する。ピストル内部で圧電素子を叩いた時に発生する衝撃の大きさの割に、放電しないことも多く不愉快である。着火するまでバチッ、バチッと何度も引き金を引くことになるから道具としては30点。

 ナショナル製をオートマチック拳銃と例えるならば、プリムスのこれは単筒かな。大きさを気にしなければ信頼性で上回るナショナル製が良い。

 ただし、これらの点火器具はガスへ点火する単一目的であるから、必ずライターとマッチは携帯している。

 

 

 

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2019年4月11日 (木)

非常食の カチ栗

 ザックの入れ替え整理をしていると、ぽろっと転がり出てきたカチ栗一つ。

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 むかし、山行中の不手際があった時のために、幾つかザックの底に放り込んでおいた一つが残っていたのだ。その頃、ピンチミルクと言って、コンデンスミルクの小さい缶詰を忍ばせる仲間もいた。

 カチ栗は、ゆでた栗を天日で数日乾かして水分を飛ばしているので、ザックの底に入れっぱなしていてもカビが付きにくい。その反面、硬くてかみ砕くには生易しくない。それが唾液を十分に呼び出すから、非常のときの空腹を一時しのげることになる。

 カチ栗以外では、鰹節の一片を入れておいた時期もあった。過去に何度かビバークを経験したが、幸いにもカチ栗や鰹節の世話にならずに済んだ。

 

 

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2019年4月 6日 (土)

スターバックスの コースターとマグカップ

 

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 マグカップの底には ©1998年のプリントがある。

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 八重洲地下街にスタバの店が開店したのは、このころだったと記憶している。1997年にキリマンジャロ山へ登ったこともあり、KENIYAのロゴに魅かれてこのコースターを購入した。マグカップはその後手に入れたと思う。

 このコースターは何度か落として割れたので、箱根寄せ木細工の板に貼って使っている。

 

 

 

 

 

 

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2019年3月29日 (金)

SAAB 9-3 と 椿(明石潟)

 椿がたくさん花を持った。落ちてしまった花も含めると30くらいはある。
                                                   

「明石潟」という品種だと友人が教えてくれた。

 検索すると、日本の古来種で数が少ないとも書いてある。そのためか、往来の人から珍しい椿ですねとか、写真を撮らせてくださいと声をかけられる。

 ただ、10㎝くらいの大輪なので茶花には向かないと思う。

 

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 鉢植えの細い枝に、よくこれだけ花がついたと思う。

 

 

 

 

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2019年3月26日 (火)

登山用ガスカートリッジを 使い切る

 登山用ガスカートリッジのガス残量が少なくなった場合、日帰り登山でもカートリッジを予備に持っのは重量と嵩の関係があって、新しいものを持ってゆくことが多い。したがって、中途半端にガスの残ったカートリッジが増えてしまう。
 そこで、残量の少ないガスカートリッジの使い切り方法として、パーコレーターで淹れたコーヒーを楽しむことにしている。

 

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 ヘッドは PSS 型 ユニバーサルトレーディング社製
 微細な火力調整ができるのはいいが、昼間は炎が見えないので注意が必要である。

 

 

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2019年3月22日 (金)

クラブ誌『SAAB WAY』の 終刊

 サーブオーナーズクラブオブジャパン(SOCJ)のクラブ誌『SAAB WAY』は、Vol.70を最後にその役目を終え、毎月発行の『SOCJ NEWS』も同時に終了した。
 今後は紙媒体に代わってホームページ上での情報交換となるが、昭和生まれの私にとって、手に伝わる重みと紙質とインクのにおいを感じる冊子、書籍が減ってゆくことに寂しさを覚える。

 

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 昨年はあるログハウスメーカーのPR誌も打ち切りになった。制作・郵送料の事情のほかに、受け取り側の住宅事情も大きいと思う。書籍や月刊誌などを並べておく場所の問題である。
 かつては書架をしつらえ分厚い百科事典などを並べた家を多く見かけたが、今や古書店でも作家の全集物や百科事典は人気がなく引き取らない。


 登山関係の雑誌社が企画する魅力的な登山計画へ参加するには、その月刊雑誌を年間予約購読して会員登録してからになる。15年ほど前の話だがある登山計画にビジター参加した若い人から、会員資格は欲しいが本誌はいらないと言われたことがあった。理由は保管場所の問題だったと記憶している。
 先輩方も直近の10年分くらいしか蔵書せず、どんどん処分していたという。私のように50年分も残している者は少ないようだ。


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 あるログハウスメーカーのPR誌  


 SOCJは1982年に結成したが、西武自動車販売店に集まっての談話が主体だった。1992年になって、クラブ員のサーブに対する思いを『10周年記念特別号』にまとめたことが、今日まで続いた会報誌の始まりになった。
     
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 その翌年1993年に会報第1号Vol.1を発行。
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 私がSOCJに入会した1994年にVol.4が作られ、1996年のVol.5から年3冊発行されるようになった。
 当初は原稿を数名がかりでリソグラフ印刷・製本・発送という作業が、パソコンが普及するにつれ集まった原稿を、一人でDTP作成してデータを印刷会社へ送るようになる。アドビイラストレイターのような画像処理ソフトを持っている編集担当個人の、作業負担が大きくもなった。

 

     Ssaabway4_1 

 

 一時期、クラブ誌編集に携わってきたので、小さなクラブの会報ではあるが散逸してはもったいないので、冊数がまとまった時点で合本にしていた。
 昨日、製本屋さんへ依頼していた最後の会報が、合本『SAAB WAY  Ⅳ   Vol.51-Vol.70』となって届いた。
SOCJ 1982年から2018年まで37年間の歴史が、この合本4冊に残っている。将来、クラブメンバーのどなたかに引き継がれるかもしれない。
 
 2019年からはサーブオーナーズクラブオブジャパンのHPで、イベント告知と参加受付をすることになった。

 

 

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2019年3月15日 (金)

行動食の 干しイチジク

 行動食によさそうな、干しイチジクを買ってみた。

 以前紹介した市田柿はおおよそ5月頃が賞味期限だが、このイチジクは7月まで日持ちする。


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 味はあまり甘くないので、当方の基準に合格である。

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 難を言えば、表面がしっとりしているため、手袋に果汁がついてしまうことだ。
 ただ、2個づつ包装されているので、出発前に必要量をポリ袋へ詰め替え、食べるときに工夫すれば指にべとつきは残らないだろう。
 
 入手については、スーパーの特設コーナーに置かれてあったため、欲しい時に手に入らないことが大きな問題点である。



 

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2019年2月28日 (木)

ハノイ1940年(昭和15年)ころの 観光地図

 今、米朝会談が行われ、世界が注目しているベトナムのハノイ。

 写真は、1940年(昭和15年)ころのハノイ観光地図。

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      レタリングがいい

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     オペラハウスはこのあたりか

 

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     間違いなさそうだ

 

 仏領インドシナあるいは仏印と言われていたころ、父親は南支派遣軍の軍属として航空部隊に所属。広東へ上陸後、陸路か空路か海路か聞かなかったが、ハノイへ進駐した。

 フランス軍が撤退した後だったので倉庫には食料や酒類が山と残されていて、毎日ビールを飲んで過ごし、ライチ・マンゴー・ドリアンなど果物がうまかったこと、食傷気味のバナナは天ぷらにして食べたと聞いた。

 

 

 

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2019年2月24日 (日)

『釜定』さんの 馬蹄形鉄器

 荷物を整理していたら、馬蹄をかたどった南部鉄器が出てきた。

 
 同じ頃にもらったペン皿と小さな灰皿は使っているが、これは壁にねじ込んで使うものなので、石膏ボードの部屋には取り付けできず仕舞いこんで行方も記憶もなくなっていたのだ。

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 表面のエンボスから、1975年に記念品として学校関係者へ配られたものと思われる。

 新しい部屋の内壁はパイン材なので、ふさわしい場所に取り付けようと思う。
 

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2019年2月 5日 (火)

購入品の タグ

 商品のタグを処分しようと、箱から出してみた。

 1980年代以降の山用品のタグは、ほぼ残していたのだ。


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 眺めていたら、処分はもう少し先でもよいかと思い直し、籠へもどした。
 籠の中の赤いタグは未脱脂ウールグローブのもので、定価は 4300円がついていた。
 それを値下げして 2150円 → ええいっ 980円 → 持ってけドロボー特価300円となったところで購入したのだ。
 いかに原価が低いか想像できる。
 以前は、こういうお買い得品がちょくちょくあった。

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 近ごろ1970年代以前に使われていた飛行機マークの印刷された SAAB 部品の空き袋が、外国のネットオークションに出ているのを見かける。
 数年前、 SAAB 99 と一緒に新オーナーへ渡した部品は、紙袋・ビニール袋も含めて値打ちがあったのかな。

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2019年1月28日 (月)

貝印の カミソリ

 毎日使っている貝印のカミソリ。

 この値段でこの切れ味、さすがメイドインジャパン。

以前は柄の色が緑だったと記憶しているが、男子の使用率が下がったのかピンクになって女性の美容品コーナーに置かれている。

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 温泉宿やホテルに置いてある T 字型のカミソリは、鼻毛や眉毛、もみあげの位置など細かなところが剃れないし、深剃り具合が今一つしっくりこないため使わない。
 

 自分で髭を剃るようになってから数十年、このタイプのカミソリを使っている。
 取り扱いには細心の注意を払わないと大けがにつながるから、切り傷が増えてきたときは人生の終焉が近づいたと考えている。

 

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2019年1月 1日 (火)

本年も どうぞよろしくお願いいたします。

本年も どうぞよろしくお願いいたします。   己亥正月

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    紅白の南天


 尾根の向こうの、滝を登った先の、初めて見る景色に感動する山登りは、冒険心をくすぐり、想像力を掻き立てる遊びだと思います。
 
 従いまして、写真による山のコース案内はネット上のそちらに任せ、当ブログは手元にある山道具にまつわるよしなし事を今年も書いてまいります。
 
 また、 SAAB は故障知らずで元気な 2007年モデルの 9-3 ですから、せいぜい SAAB ロゴの入ったあれこれを取り上げたいと思います。



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2018年12月24日 (月)

SAABの 琺瑯製看板

 SAABのロゴが描かれた琺瑯製の、小さな看板が届いた。

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 琺瑯製の看板は、プラスチック板への印刷よりも趣があって好ましい。

 以前、SAAB 飛行機マークの琺瑯看板がオークションに出たことがあった。
 入札したが予想価格よりずっと値が上がったことと、飛行機マークのついた SAAB 99 を手放した直後でもあり深追いしなかった。
 
 門扉への取り付け場所と固定方法は思案中なので、しばらく机の上に置いて眺めることになる。

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2018年12月16日 (日)

バブアーの 防水用オイル

 アブアーの防水オイル。説明無用の英国ブランド。

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 先輩の形見分けで、オーバーミトンとともにいただいたもの。

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 このオーバーミトンは、アルファベットの印刷文字が薄く残っているし、人差し指の部分が布で作られていて寒冷地で銃を扱う兵士の装備と想像できるから放出品に間違いない。
 
 布の部分へバブアーオイルを浸み込ませ、革には保革油をすりこんだら蘇った。さすがはミルスペック品ゆえヘビーデューティだ。
 衣類にもミルスペックがあるかは知らないが、相応の厳しい規格があるはずだ。


 まさか、先輩はミトンのためだけに、このバブアーオイルを買ったわけではないと思うが。ともあれ、今年の雪山に持ち出してみよう。
 

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2018年12月 1日 (土)

行動食の 干し柿

 近所のスーパーマーケットに、干し柿が並びだした。

 以前のブログにも書いたが、冬の山歩きには行動食・非常食として市田柿を欠かさない。
 
 ザックにパッキングする場合は行李に入れるが、他のものと一緒に詰め込むし、歩きながら食べるためはウエストバックに突っ込んだりもする。
 したがって、あんぽ柿の柔らかさより市田柿のほうがつぶれにくく取り扱い易いし、賞味期間が3月末日くらいまでと長いこともうれしい理由である。
 干し柿には大別して、市田柿に代表的される粉の吹いたやや硬質のものと、あんぽ柿という軟質なものの二系統があるようだ。
 
 全国にはその土地ごとに干し柿を作っていると思うが、わたしは寡聞にしてこの二系統しか知らない。
 
S_2        手間のかかる商品なので、生産者の減少が心配だ

 写真左下の「ほし柿」は、恵那峡SA上り線で見つけたもの。
 近所では市田柿とあんぽ柿しか見かけないから、これは生産量が少なく地産地消の干し柿かもしれない。頑張ってほしい。

 写真右上は、山梨県産のあんぽ柿。
 あんぽ柿は福島名産と信じていたので意外な気がする。それは子供の頃に、福島県出身のお隣さんからよくいただいたからである。
 
 市田柿は、大手のスーパーマーケットができ始めた頃から広まった気がする。それ以前、多摩地方の八百屋で売られていたのは、コロ柿という粉吹き系の干し柿だったと思う。
 

 粉吹き系統に「蔵王のつるし柿」もあるが、近ごろ見かけなくなった。

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2018年11月21日 (水)

ブルックスブラザースの 200年

 ブルックスブラザース200年記念展が、文化学園服飾博物館で11月30日まで開かれている。

 若いころはニューヨーカーやJプレスだったが、ブルックスブラザースはデパートに出店してからようやく買えるようになった。

 写真の立派な書籍は、10数年前にジャケットを買いに行った折にいただいた周年誌。
 表紙は代表的なピンストライプ柄の生地を使っているので、長い間に虫食いの跡が・・・。


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       右の別冊は邦訳版
 
Photo        こちらは、手帳サイズの100年史








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2018年11月12日 (月)

コーヒーの ドリップポット改良

 コーヒーを淹れるドリップポット(YUKIWA製)を改良した。
 

S   奥:「珈琲夢職人」さん所有のオリジナル 先端を少しすぼめている
    手前:©4bayan好み オリジナルとの曲線の違い 
 
 
 ポットを傾けてゆき、注ぎ口付け根の丸く膨らんだ部分に空気が入った途端、それまで細くでていた湯がボコッと吹き出て不愉快な思いをしていた。
 コーヒー 1-2杯分を淹れるならそんなことにならないだろうが、当方はポットの蓋ぎりぎりの湯で7杯分作るので、このような現象が起きると思う。
 
 
 付け根の丸く膨らんだ部分から先をガスバーナーで赤めて矩形に成形し、さらに注ぎ口とポット付け根付近までを直線に近づくようにハンマーでたたいて整えた。先端も湯が希望の細さで出るように絞った。
 もう少し筆記体の 「 f 」 に近い線を出したかったが、割れてしまっては元も子もないのでここまでとした。

 結果、湯はポットの傾きに比例して、狙い通りの細さで滑らかに出るようになった。これで、長年の不快感がようやく解消された。
 
 オートバイのエキパイのように焼けた色は、凹凸を隠すためにそのままにしている。




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2018年11月 1日 (木)

水墨画家 張大千の 折り本

 水墨画の大家 張 大千の折り本である。

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 内山雨海と親交のあった 張 大千の折り本が古書展に出ているというので、水墨画教室の帰りに先生(雨海の孫弟子)と見に行った。
 先生曰く 真筆であると。
 お言葉ではありますが、帆船や松の墨色が単一で、とても達人のものと思えず贋作かと。
 しかしながら迷いのない筆運びもあって、参考にするため求めた。

 絵が単調なので君に譲った、と先生の後日談あり。


Sss



 大家になると贋作も出回るというが、果たして真贋やいかに。


 

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2018年10月18日 (木)

瑞典の オプチマス 8R

オプチマス 8R  瑞典製

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Sr


 スウェーデンを漢字表記すると瑞典。 なぜこの字を当てたのだろうか。
 藤堂明保博士の『漢字源』を引いても「めでたい前知らせ、めでたい儀式、式典」とあって、スウェーデンには触れていない。
 ウイキペディアを見るとほかの漢字表記もあるようだ。

 それまで使っていたのはスベア 121 石油コンロで、初心者は安全な石油が良いと秋葉原の「ニッピン」でアドバイスされて買ったものだ。
 後年、会の新年の福引に提出したため、今度はガソリンにしようと思い、スベア 123 にするか、ホエーブス 725 にするかオプチマスにするかで迷った末に、この 8R を購入した。
 
 
 付属のハンドルはスベア 123 と同じプレス加工の簡素なものだったので、コッフェルを乗せたまま火力調整できるように、ホエーブス 725 用のハンドルを改造した。
 これより古い 8R は、このようにシャフトの長いハンドルだった。
 
S8r_2      

 購入当時の品物は塗装の品質が落ちてきたのか、数年で錆が浮き出したため黄色と青のラッカーで塗装した。
 

 最近、元の塗装を出そうとシンナーで拭いてみたが『覆水盆に返らず』になった。

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2018年10月 5日 (金)

独)ペトロマックスの ストーブ

 写真は、ドイツのペトロマックス社製石油ランプ  。
 昔の塩見小屋で写したもので、小屋は近年建て直したと聞くが今でもこのランプを活用しているのだろうか。
 ランプは、山小屋の夜の雰囲気をいや高める一つだ。

Photo

 真鍮のボディーに打刻された 「 Petromax 」 の rom の部分が、ポンプの上にうっすらと見て取れるがいかがだろうか。

 さて、こちらは同じペトロマックス社製の石油ストーブ No.220。

S     箱の配色はなぜか スウェーデンカラー 


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Photo
      真鍮のボディには MADE IN GERMANY
S_3         バーナーヘッドはスベア製 MADE IN SWEDEN 

 ニップルの清掃用ニードルと分解用スパナがなくなってしまったが、石油を入れればいまだに現役だ。
 

 この手の石油ストーブはスウェーデンのスベアやプリムスが有名だが、日本やドイツでも作っていた。

 
 

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2018年9月17日 (月)

籐椅子の 張替え修理

 籐(ラタン)椅子の張替え。

 60年位前の、古典的なシルエット。

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 長年使いこんできたので切れたり、のびたり各部に痛みが目立ってきた。

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 ずいぶん前になるが、手芸店でラタンの材料を買ってきて部分補修をしてみたが、次々と切れてしまうのでこの辺でしっかり直してもらうことにした。
 ネットで調べると、八王子に「Aラタン」というラタン修理専門の店を見つけた。現品の写真を送って、見積後に持参した。 SAAB99 の主治医もそうだったが、職人と直接話をすることで、技量や考え、職場の様子(4S)がわかって安心して任せられる。
 
 
 編み直し後の籐椅子。
 
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 依頼前の名残はフレームだけで、座面はもとより接合部もすべて5ミリ幅くらいのラタンで編み直してあった。 
 座面の張りも戻り、また50年使えるようになったから、職人の技術料は抜群に安いと思う。
 


 最近、英国バーバリー社の売れ残り商品の大量焼却問題が報じられたが、朝日新聞2018年9月13日の夕刊に”良いものを長く「賢い消費」へ”という記事があった。
 過剰生産、大量廃棄からの変革を考える時代になったし、その兆しも見え始めたと書いてあった。
 
 良いモノ、気に入ったモノは、繕いながら大切に使うことで一層愛着がわいてくる。
 
  
 

 ただ、この籐椅子を次の世代が長く使うかどうかは分からない。


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2018年9月 9日 (日)

南支派遣軍の 写真集

 南支派遣軍の報道写真集。


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             奥付は、昭和15年3月20日発行 非売品 とある 
                   余白には万年筆で、在広東のメモ 
 
 小学生の頃、この写真集を繰り返し見た。そのころから比べると、虫干しもせず暗い本棚に仕舞いっぱなしだったので、かがり糸が切れたりして状態が悪くなってしまったのは致し方ないところだ。
 表紙のクロスに、箔押しで南支派遣軍。文様は中国に多いレンガのフランス積みをイメージしたと思われる。
 
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 2007年2月ころと記憶しているが、日本カメラ博物館で企画展『名取洋之助と日本工房』があって、この図録を購入した。

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 企画展で初めて『南支派遣軍』写真集が、名取洋之助達の国際報道工藝社の制作と知った。
 国際報道工藝社の前身は、昭和8年設立に名取洋之助が設立した日本工芸でグラフ誌『NIPPON』を海外向けに発行した。

S_8           雑誌で『NIPPON』や『FRONT』の紹介があると切り抜いた

 昭和9年創刊の『NIPPON』が今でも時折取り上げられるのは、グラフィックデザインの斬新さが現在でも通用するからだろう。


 『NIPPON』の紙面に魅かれるのは、小学生の頃見た『南支派遣軍』写真集の影響が大きく、余白の使い方を参考に某雑誌の紙面のレイアウトをしていたが、上部の人には不評であった。
 
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        中央が名取洋之助著『写真の読み方』(岩波新書)
 

 『写真の読み方』から、編集者のキャプション次第で右寄りにも左寄りにもなると教わった。



 付録なのか、写真集にはさんであった『広州市馬路全図』。

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           昭和14、5年当時の広州市の街並み


 8月15日の当ブログで取り上げた『支那事変 戦跡の栞』の裏表紙に、父親は昭和十四年五月のメモを残している。そしてこの昭和十五年三月発行の『南支派遣軍』に、在広東と記している。従って、昭和十四年五月から昭和十五年までは広東に駐留していたと思われる。



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2018年8月15日 (水)

平成最後の終戦記念日

 平成最後の終戦記念日

 日支事変の頃、仙台から上京し航空工廠に勤めていた父は軍属として徴用され、南支派遣軍の輸送船で中国へ渡り、広東の飛行場に進駐した。
 そのころ、軍属を含め兵隊に配給された 上巻(河北・蒙彊地区・山東・山西の部)、 中巻(江蘇・浙江・河南・安徽の部)、 下巻(江西・湖北・湖南・広東・福建・広西・四川・雲南・貴州・陝西の部)の3冊からなる『戦跡の栞』という冊子が出てきた。
 
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 内容は平易で観光ガイドブック的な仕上がりになっている。支那事変各地の戦闘状況はもちろんだが、各省の概説、歴史、地質、地形、気候、物産、住民と言語、名勝など軽快、軽妙な筆致で書いている。総ルビなのもうれしいし、地名は中国語読みもつけてある。
 冊子の刊行趣旨を少し長くなるが書き出しておく。

「今次事変の終局目的たる日支の真の提携と共栄の上に、東洋永遠の平和を確立せんが為には、将兵各自並びに全国民が、支那を徹底的に認識することが最も最大の要務である。
 本書は現地将兵の慰問品として分配するものであるが、右の見地に立ちて、大体占領地域を中心として体験せし実践の経過を追憶し併せて支那事情、主として人文地理的事情を説述し、以て現地将兵の便に供し、更に銃後への通信及び、帰郷の時に際して、之を広く郷当に普及伝達し、以て日支の真の親善に資せんとするものである。
 故に本書の説述に当たりては、飽くまで中正妥当の見地に立ちて記事の正鵠を期すると共に一面情味豊かなる読物たらしめ、苟も独善冗漫に流る事なからしめた。
 かくして縦に支那の地理を伝え、更にその上に動く支那と、そこに戦われたる皇軍聖戦の真相に徹せしめ以て今次事変に関する認識と将来の覚悟とを完からしめんとするものである。
            陸軍恤兵部」 

 発行日は上巻が昭和13年9月1日,下巻が同年12月1日となっているから、事変勃発から1年数か月でまとめ上げたことになる。
 
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 広東では、第二十一野航(安田部隊)に配属されたことが、裏表紙の見返しに「第二十一野航 日支事変出征に際し 給与さる昭和十四年五月十九日 皇軍ハイアス湾敵前上陸後一か月目に広東に上陸せり  〇〇〇  」と記していることからわかる。
 
 バイヤス湾敵前上陸を行った父の次兄(仙台二師団歩兵)は、その1-2か月後に弟が広東の飛行場に入ったことを知って訪ねてきたという。
 戦の中とはいえこのころは意外と自由な行き来ができたようだ。どんな会話をしたか聞き漏らしたが、別れの時の心情はどうだったのだろう。


 男4人女3人の末っ子が父で、長兄は砲兵、次兄が歩兵、三男は工兵として地元の第二師団から戦地へ送られた。
 なかでも次兄はシンガポールで終戦を迎えるまで十数年間転戦したといい、長兄は山砲の音により鼓膜を破り、三男は架橋や渡船のためクリークに長く浸かったりして体を痛めたが、それでも兄弟4人無事に終戦を迎え仙台に戻ることができた。迎えた母親の髪は真っ白になっていたという。


 子や夫を応召されたご家族どなたも同じであるが、陰膳据え膳を毎日かかさず供え、わが子、わが夫の無事帰還を願っていた。


 ちなみに、祖父(父方)は日清戦争で出征(仙台第二師団)した際、小さな手帳に改行もしないで記録を残している。

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